昨晩は「横になって寝ていいですよ」と、とても旅人に親切な南大隅町のファミレスで仮眠を取らせてもらい、今朝5:30分、いよいよこの旅の最終目的地佐多岬を目指し歩き始めました。
スタートしてすぐは、
「今日が最後の一日か!」
と、少し込み上げてくるものがありましたが、それも最初の10KMだけで、それ以降はそんなことなど考えてられないほど、山道の連続で登っては下りを繰り返す、地獄のような最終日でした。
しかし、途中全くメゲルことなく歩き続け、午後5:00ようやく、佐多岬入り口の“料金所”に到着したました。
“料金所?”
何と!着いてびっくり!ここ佐多岬は、岬までの最後の3キロが私有地の有料道路になっていて、そして、その入り口の料金所に、信じがたい文字が書いてありました。
それは、
“自転車・歩行者 通行禁止!バスをご利用下さい!”
「えっ??????!歩いていけないんだ!」
そうなんです!岬の先には、車でしか行くことができず、歩いて行くことはできませんでした。
しかし、この旅で学んだ
“最善を尽せば、後は何とかなる”
を信じて、料金所のお母さんに「歩いて岬まで、行けないか?」尋ねてみました。
すると、
「歩行者の通行止めは法律で決められていることなので、私にもどうしてあげることも出来ないのよ。」
と、止めの一言を頂いてしまいました。
強引に行く事も考えましたが、最後の最後で“義”に反し、この旅にキズを付けるのもやだったので、仕方なく料金所の側でしばらくたたずんでいると、最後の最後まで、あの出会いの神様“ジャバ”が本当にいい仕事をしてくれ、素敵な出会いが僕の思いを叶えてくれました。
それは、野生のイノシシの家族で、この家族(写真のイノシシ家族)が突然現れ、僕はびっくりしましたが、何と!この家族が料金所のお母さんと大の仲良しで、それをキッカケにお母さんと色々お話しをすることができました。
そして、このお母さんと色々お話しをしているうちに、お母さんから岬まで歩いて行く素敵な方法を帰り際に教えてもらいました。
それは、
「ここは、五時半まで歩行者通行止めで、その後は門が閉められ勝手に入ることもダメになるけど、あんたが空を飛んで岬まで行ったら、鳥に行くなとは言えないからね!
あんた東京から歩いて来たんだから、飛べるくらい出来るんじゃない!私が帰った後飛んでみれば、岬まで行けるかもよ!」
と、素敵なアドバイスをしてくれ、車で去っていきました。
そして、倉敷で知り合った“楽歩隊”の哲生さんが、7/30に既に東京にゴールし、鹿児島に帰られていて、僕のゴールを一緒にしてくれる事になっていたので、哲生さんとそのお友達の郷さんと、更に、最後の最後にここ佐多岬で出会った、女の子なのにバイクで一人旅をしている望月さんの四人で、空を飛び見事“何とかなってしまい”18:59分ゴール佐多岬に到着することができました。
ゴールした瞬間自分は何を思うのか?自分でも想像がつかないでいましたが、ゴールした瞬間にまず思ったことは、
「もう、歩かなくていいんだ?!」
でした。
それくらい、本当に大変な歩き旅でした。
道中沢山の方々に本当にお世話になり、僕の勝手な旅を助けて頂きました。
そして、その皆さんのお陰で、今まで何一つ目標を達成したことのなかった僕が、初めて一つの事を最後まで諦めずにやり抜き、目標を達成することが出来ました。
これは、僕にとって本当に大きな自信になりました。
そんな皆さんに心からの感謝と道中教えて頂き、僕の大好きな言葉になった、
“出逢ってくれてありがとう。”
の言葉を贈り、この旅日記を終わりたいと思います。
さぁ?東京に帰るぞ!
あっ!
東京帰ると言っても、アパート引き払って出てきたから、何処に帰ればいいんだ?
まぁ?いいか、何とかなるか!

スタートしてすぐは、
「今日が最後の一日か!」
と、少し込み上げてくるものがありましたが、それも最初の10KMだけで、それ以降はそんなことなど考えてられないほど、山道の連続で登っては下りを繰り返す、地獄のような最終日でした。
しかし、途中全くメゲルことなく歩き続け、午後5:00ようやく、佐多岬入り口の“料金所”に到着したました。
“料金所?”
何と!着いてびっくり!ここ佐多岬は、岬までの最後の3キロが私有地の有料道路になっていて、そして、その入り口の料金所に、信じがたい文字が書いてありました。
それは、
“自転車・歩行者 通行禁止!バスをご利用下さい!”
「えっ??????!歩いていけないんだ!」
そうなんです!岬の先には、車でしか行くことができず、歩いて行くことはできませんでした。
しかし、この旅で学んだ
“最善を尽せば、後は何とかなる”
を信じて、料金所のお母さんに「歩いて岬まで、行けないか?」尋ねてみました。
すると、
「歩行者の通行止めは法律で決められていることなので、私にもどうしてあげることも出来ないのよ。」
と、止めの一言を頂いてしまいました。
強引に行く事も考えましたが、最後の最後で“義”に反し、この旅にキズを付けるのもやだったので、仕方なく料金所の側でしばらくたたずんでいると、最後の最後まで、あの出会いの神様“ジャバ”が本当にいい仕事をしてくれ、素敵な出会いが僕の思いを叶えてくれました。
それは、野生のイノシシの家族で、この家族(写真のイノシシ家族)が突然現れ、僕はびっくりしましたが、何と!この家族が料金所のお母さんと大の仲良しで、それをキッカケにお母さんと色々お話しをすることができました。
そして、このお母さんと色々お話しをしているうちに、お母さんから岬まで歩いて行く素敵な方法を帰り際に教えてもらいました。
それは、
「ここは、五時半まで歩行者通行止めで、その後は門が閉められ勝手に入ることもダメになるけど、あんたが空を飛んで岬まで行ったら、鳥に行くなとは言えないからね!
あんた東京から歩いて来たんだから、飛べるくらい出来るんじゃない!私が帰った後飛んでみれば、岬まで行けるかもよ!」
と、素敵なアドバイスをしてくれ、車で去っていきました。
そして、倉敷で知り合った“楽歩隊”の哲生さんが、7/30に既に東京にゴールし、鹿児島に帰られていて、僕のゴールを一緒にしてくれる事になっていたので、哲生さんとそのお友達の郷さんと、更に、最後の最後にここ佐多岬で出会った、女の子なのにバイクで一人旅をしている望月さんの四人で、空を飛び見事“何とかなってしまい”18:59分ゴール佐多岬に到着することができました。
ゴールした瞬間自分は何を思うのか?自分でも想像がつかないでいましたが、ゴールした瞬間にまず思ったことは、
「もう、歩かなくていいんだ?!」
でした。
それくらい、本当に大変な歩き旅でした。
道中沢山の方々に本当にお世話になり、僕の勝手な旅を助けて頂きました。
そして、その皆さんのお陰で、今まで何一つ目標を達成したことのなかった僕が、初めて一つの事を最後まで諦めずにやり抜き、目標を達成することが出来ました。
これは、僕にとって本当に大きな自信になりました。
そんな皆さんに心からの感謝と道中教えて頂き、僕の大好きな言葉になった、
“出逢ってくれてありがとう。”
の言葉を贈り、この旅日記を終わりたいと思います。
さぁ?東京に帰るぞ!
あっ!
東京帰ると言っても、アパート引き払って出てきたから、何処に帰ればいいんだ?
まぁ?いいか、何とかなるか!

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2005/08/05(金) 18:59:20| 田代32画像旅日記|
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今日は朝7時に起きると、大喜さんの奥さんアユミさんが「お昼に食べて」と、とっても嬉しいことに、僕の分のお弁当を作って下さってました。
あまりの素敵な奥様ぶりに感動してしまいました。
しかし、このアユミさんの素晴らしさはこれだけでなく、23歳という若さながら全てにおいて気が利いていて、しかも美人なので「僕は結婚するなら絶対鹿児島の女性と結婚しよう!」と、密かに心の中で決意しました。(もう何年も彼女すらいないのに!)
そして、大喜さんに昨日合流したコンビニまで連れて行ってもらい、今日の歩き旅をスタートしました。
スタートして直ぐに山の木達が、びっくりするくらい鮮明な緑色を主張しだし、自分の存在をガンガンアピールし始めました。
このアピールが朝から始まると、僕の経験上“もの凄い暑い一日になる”と決まっていて、今日もやっぱり日中とんでもない暑さに襲われました。
普段なら、暑さにやられゆっくり行くのですが、しかし、今日の僕は全然別人で、前だけを見据え黙々と歩き続けていました。
それは何故かというと、アユミさんの弁当にテンションが上がったのもありますが、それよりも、昨日カーナビで調べてもらって、佐多岬までの距離が後75KMとわかったからです。
ということは、今日頑張って30KM以上歩けば、
遂に!遂に!遂に!本当に遂に!明日ゴールできるからです。
それが、分かってしまったらゆっくりなんて歩いてられるはずが無く、スタートからガンガンのハイペースで歩き続けました。
そして、夕方大根占町という町まで歩き、無事30KM歩き、明日ゴールすることが決定しました。
本当に長かった?!
と、いうことで長かったこの旅も明日で終わりです。
まだ、その実感が湧きませんが、とにかくゴールするまで気を抜かずにしっかり歩こうと思います。

あまりの素敵な奥様ぶりに感動してしまいました。
しかし、このアユミさんの素晴らしさはこれだけでなく、23歳という若さながら全てにおいて気が利いていて、しかも美人なので「僕は結婚するなら絶対鹿児島の女性と結婚しよう!」と、密かに心の中で決意しました。(もう何年も彼女すらいないのに!)
そして、大喜さんに昨日合流したコンビニまで連れて行ってもらい、今日の歩き旅をスタートしました。
スタートして直ぐに山の木達が、びっくりするくらい鮮明な緑色を主張しだし、自分の存在をガンガンアピールし始めました。
このアピールが朝から始まると、僕の経験上“もの凄い暑い一日になる”と決まっていて、今日もやっぱり日中とんでもない暑さに襲われました。
普段なら、暑さにやられゆっくり行くのですが、しかし、今日の僕は全然別人で、前だけを見据え黙々と歩き続けていました。
それは何故かというと、アユミさんの弁当にテンションが上がったのもありますが、それよりも、昨日カーナビで調べてもらって、佐多岬までの距離が後75KMとわかったからです。
ということは、今日頑張って30KM以上歩けば、
遂に!遂に!遂に!本当に遂に!明日ゴールできるからです。
それが、分かってしまったらゆっくりなんて歩いてられるはずが無く、スタートからガンガンのハイペースで歩き続けました。
そして、夕方大根占町という町まで歩き、無事30KM歩き、明日ゴールすることが決定しました。
本当に長かった?!
と、いうことで長かったこの旅も明日で終わりです。
まだ、その実感が湧きませんが、とにかくゴールするまで気を抜かずにしっかり歩こうと思います。

2005/08/04(木) 20:00:16| 田代32画像旅日記|
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今日は午前7時に目覚めて、ビックリ!
昨日、この垂水の“道の駅”に到着したのが夜だったので全然気付かなかったのですが、桜島が目の前で、あまりの美しい景色と桜島の逞しさに朝から感動してしまいました。
そして、太陽が昇るに連れ色を変えて様々な表情を見せてくれる、桜島にも、また素晴らしく感動的でした。
一通り桜島の表情を見た午前9時、垂水の“道の駅”を出発することにし、歩き始めました。
そして、30分ほど歩いた所で汗ダクになりながらも、色々な角度からデジカメで桜島を撮影している二人の女性を発見!
「何の人だろう?」と思いながらも、先を急いでいたので挨拶だけして、通り過ぎようとすると、
「旅してるんですか?」と、声を掛けられ、話してみるとびっくり!何と、鹿児島NHKの方で番組の取材をされていました。
そして、これから僕がいた、垂水の“道の駅”を取材に行くらしく「そこでネタをやってもらえませんか?」と言われ、僕は「せっかく歩いて来たのに戻るのか?、少しもったいないな?」と、思う事など全然なく、喜んでネタをやらせてもらう事にし、また“道の駅”に戻りました。
そして、道の駅でネタをやって、足湯につかりながら僕の旅の話しなども取材してもらいました。
そして、丁度お昼頃に取材が終わり、再度道の駅を出発!
とにかく南を目指し歩き始めました。
すると、途中とっても嬉しい偶然の再会がありました。
それは、昨日蚊取り線香を買うために立ち寄ったら、お惣菜をサービスしてくれた、森大圭君と偶然再会することができました。
大圭君はお兄さんの勤める建築会社でアルバイトをしていて、その帰り道だったそうで、「もしかしたら僕と会えるかも」と思いながら、バイクで自宅を目指していたそうです。僕はそれを聞いて「きっと大圭君にも“ジャバ”がいるな!」
と思いながら、暫くお話しをしました。
すると、大圭君が「兄貴の家に今日泊まって下さいよ!」と、言って、早速お兄さんに連絡を取ってくれました。すると、お兄さんも心よく僕を受け入れて下さり、今晩お世話になることになりました。
そして、垂水の市内でお兄さんの大喜さんと合流しお家に連れて行ってもらい、更に夜になってお友達のジョージさんと、ジュンさん、それに大喜さんの奥さまのアユミさん、とで居酒屋に行き、昨日に続いて連夜の唐揚げをご馳走して頂き、それ以外にも沢山ご馳走になりました。
そして、その後は大喜さんのお家に戻り、結局夜中まで色々お話し、楽しい時間を過ごしました。
今日もまたここ垂水市に知り合いなど一人も居なかったのに、偶然の出会いから出会いが広がり、気付けばここの町にも新しい仲間が出来てました。


昨日、この垂水の“道の駅”に到着したのが夜だったので全然気付かなかったのですが、桜島が目の前で、あまりの美しい景色と桜島の逞しさに朝から感動してしまいました。
そして、太陽が昇るに連れ色を変えて様々な表情を見せてくれる、桜島にも、また素晴らしく感動的でした。
一通り桜島の表情を見た午前9時、垂水の“道の駅”を出発することにし、歩き始めました。
そして、30分ほど歩いた所で汗ダクになりながらも、色々な角度からデジカメで桜島を撮影している二人の女性を発見!
「何の人だろう?」と思いながらも、先を急いでいたので挨拶だけして、通り過ぎようとすると、
「旅してるんですか?」と、声を掛けられ、話してみるとびっくり!何と、鹿児島NHKの方で番組の取材をされていました。
そして、これから僕がいた、垂水の“道の駅”を取材に行くらしく「そこでネタをやってもらえませんか?」と言われ、僕は「せっかく歩いて来たのに戻るのか?、少しもったいないな?」と、思う事など全然なく、喜んでネタをやらせてもらう事にし、また“道の駅”に戻りました。
そして、道の駅でネタをやって、足湯につかりながら僕の旅の話しなども取材してもらいました。
そして、丁度お昼頃に取材が終わり、再度道の駅を出発!
とにかく南を目指し歩き始めました。
すると、途中とっても嬉しい偶然の再会がありました。
それは、昨日蚊取り線香を買うために立ち寄ったら、お惣菜をサービスしてくれた、森大圭君と偶然再会することができました。
大圭君はお兄さんの勤める建築会社でアルバイトをしていて、その帰り道だったそうで、「もしかしたら僕と会えるかも」と思いながら、バイクで自宅を目指していたそうです。僕はそれを聞いて「きっと大圭君にも“ジャバ”がいるな!」
と思いながら、暫くお話しをしました。
すると、大圭君が「兄貴の家に今日泊まって下さいよ!」と、言って、早速お兄さんに連絡を取ってくれました。すると、お兄さんも心よく僕を受け入れて下さり、今晩お世話になることになりました。
そして、垂水の市内でお兄さんの大喜さんと合流しお家に連れて行ってもらい、更に夜になってお友達のジョージさんと、ジュンさん、それに大喜さんの奥さまのアユミさん、とで居酒屋に行き、昨日に続いて連夜の唐揚げをご馳走して頂き、それ以外にも沢山ご馳走になりました。
そして、その後は大喜さんのお家に戻り、結局夜中まで色々お話し、楽しい時間を過ごしました。
今日もまたここ垂水市に知り合いなど一人も居なかったのに、偶然の出会いから出会いが広がり、気付けばここの町にも新しい仲間が出来てました。


2005/08/03(水) 23:59:35| 田代32画像旅日記|
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治った??????!
よかったです。
昨日の夜はどうなるかと思いましたが、朝起きてみたら、お薬と何より村西さんの優しさのお陰で完全に復活することができました。
村西さんには、本当に感謝で、見ず知らずの人間を泊めるだけでなく、その人間が病人であるにも関わらず、嫌な顔一つせずに親切にしていただきました。
本当に迷惑だったと思いますが、
“お粥を作って下さったり”
“洗濯をして下さったり”
“離れの素敵なお部屋を用意して下さったり”
と、なんとお礼を言ったらいいのか、解らないくらい親切にして頂き、何より側に人が居て下さることが凄く安心させてくれ、そのお陰で完全復活することができました。
そして、朝ご飯を村西さんのお婆ちゃんと一緒にご馳走になりましたが、このお婆ちゃんが東京から歩いて来たことに感激して下さり、沢山お話しをして下さりましたが、鹿児島弁がキツク、ほとんど僕は言葉を理解できませんでした。
でも、村西さんが戸田奈津子バリに通訳して下さったので、お婆ちゃんから、お孫さんの話しなど沢山聞かせてもらいました。
そして、本当にお世話になった村西さんとお婆ちゃんに駅まで送って頂き、昨日電車に乗った駅まで戻り、お昼ちょうど歩き旅を再開することができました。
歩いてみると、やっぱり無理を言って泊めてもらってよかったらしく、体も心も昨日の体調が嘘のように軽くなっていて、スイスイ歩くことができました。そして、途中写真のように足湯につかりながら休暇したり、錦江湾にイルカがいるのを発見し暫く見ていたり、つり具屋さんのお父さんにジュースをご馳走になり、ここを通る旅人の話しを聞いたりしながら、とっても楽しく歩く事ができ、健康であることの喜びを感じることができました。
そして、夜の8時頃、蚊取り線香を買うためによったスーパーで、この家の息子の大圭君とその友達(名前を忘れてしまいごめんなさい)と出会うこともできました。
大圭君とお友達は写真のように、とっても元気で、写真ではちょっとわからないけど、とっても爽やかな少年達で、僕が旅をしていることを知ると「わっせ?すげぇ?」と鹿児島弁で驚いてくれ、僕の大好きな 鳥の唐揚げなどのお惣菜をサービスしてくれました。
そして、夜の10:30垂水の“道の駅”に到着し、今日はここで野宿することにしました。


よかったです。
昨日の夜はどうなるかと思いましたが、朝起きてみたら、お薬と何より村西さんの優しさのお陰で完全に復活することができました。
村西さんには、本当に感謝で、見ず知らずの人間を泊めるだけでなく、その人間が病人であるにも関わらず、嫌な顔一つせずに親切にしていただきました。
本当に迷惑だったと思いますが、
“お粥を作って下さったり”
“洗濯をして下さったり”
“離れの素敵なお部屋を用意して下さったり”
と、なんとお礼を言ったらいいのか、解らないくらい親切にして頂き、何より側に人が居て下さることが凄く安心させてくれ、そのお陰で完全復活することができました。
そして、朝ご飯を村西さんのお婆ちゃんと一緒にご馳走になりましたが、このお婆ちゃんが東京から歩いて来たことに感激して下さり、沢山お話しをして下さりましたが、鹿児島弁がキツク、ほとんど僕は言葉を理解できませんでした。
でも、村西さんが戸田奈津子バリに通訳して下さったので、お婆ちゃんから、お孫さんの話しなど沢山聞かせてもらいました。
そして、本当にお世話になった村西さんとお婆ちゃんに駅まで送って頂き、昨日電車に乗った駅まで戻り、お昼ちょうど歩き旅を再開することができました。
歩いてみると、やっぱり無理を言って泊めてもらってよかったらしく、体も心も昨日の体調が嘘のように軽くなっていて、スイスイ歩くことができました。そして、途中写真のように足湯につかりながら休暇したり、錦江湾にイルカがいるのを発見し暫く見ていたり、つり具屋さんのお父さんにジュースをご馳走になり、ここを通る旅人の話しを聞いたりしながら、とっても楽しく歩く事ができ、健康であることの喜びを感じることができました。
そして、夜の8時頃、蚊取り線香を買うためによったスーパーで、この家の息子の大圭君とその友達(名前を忘れてしまいごめんなさい)と出会うこともできました。
大圭君とお友達は写真のように、とっても元気で、写真ではちょっとわからないけど、とっても爽やかな少年達で、僕が旅をしていることを知ると「わっせ?すげぇ?」と鹿児島弁で驚いてくれ、僕の大好きな 鳥の唐揚げなどのお惣菜をサービスしてくれました。
そして、夜の10:30垂水の“道の駅”に到着し、今日はここで野宿することにしました。


2005/08/02(火) 23:59:20| 田代32画像旅日記|
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今日は、昨日上久保さんにアドバイスされたように、もう一度気を引き締め、鹿児島市内からゴールの佐多岬を目指して、新たにスタートすることにしました。
がっ!
全く動けません!
“気”は引き締めたんですが、何故かお腹がユルユルで、昨日の夜中から一時間置きにトイレに駆け込んでいて、結局一睡も出来ませんでした。
朝になっても、一時間おきのトイレ通いは続いていて、気付けばお昼になっていました。
「このまま、体調がよくなるのを待っていたら、一日中動けなくなる!“病は気から”気持ちで何とかなるはず!俺のお腹は治った!」
と、お腹の機嫌がいいときを見計らって、強引に歩き出しました。しかし、そんな子供騙しが通用する訳なく、歩き始めて直ぐにお腹の機嫌がまた悪くなり、コンビニに駆け込むことになってしまいました。
こんなことで、歩くことを諦める訳にもいかず、考えた結果。
「やっぱり、鹿児島市内に着いたことで安心してしまい、緊張感が無くなってしまっている。緊張感を出すためにはハイペースで歩けばいいんだ!」
と、何の根拠もない結論に達し、今度はハイペースで歩いてみることにしました。
しかし、そんなに世の中上手くいくはずが・・・ありました!
何と!ハイペースで歩いてみると、お腹の機嫌が全く悪くならないのです。
あまりの効果に自分でも驚きましたが「これで前に進めるぞ!」と、午前中の遅れを取り戻すためにもガンガン歩き続けました。
そして、かなり歩いた所でお腹の機嫌も、もう大丈夫そうだったので、いつものペースに戻し、今日の目的地国分を・・・・・・?
んっ!
この感じは!
ヤバイ!
あっ痛タタタタタタタ!
また、機嫌が悪くなった?!
と、再び腹痛が襲ってきました。
仕方なく、急いでトイレの有りそうな場所を目指しハイペースで歩きました。しかし、こんな時に限ってコンビニもガソリンスタンドも公園も見付からないもので、人生最大のピンチを・・・・・・?
あれ?痛くない!
波が去ったというより全然大丈夫になってる?
どうやら、どういう理由か解りませんが、僕のお腹はペースを落とすと機嫌が悪くなるようで、決してペースを落とすことができなくなってしまったようです。
その結果、常にハイペースで歩き続けなければならなくなってしまい、もし、ペースを落とそうものなら、容赦なく“〇〇〇爆弾”が肛門で爆発することになってしまう、まるで映画の“スピード1”に似た状態になってしまいました。
仕方なくハイペースで歩き続けましたが、そんなハイペースがいつまでも続けられる筈もなく、ついに加治木町という町で力尽き、歩けなくなってしまいました。
そこで仕方なく、今日泊めて頂くことになっていた“楽歩隊”の哲也さんのお母さんが紹介して下さった、写真の村西さんと連絡を取り、とりあえず電車で村西さんの家の側まで行き、車で迎えに来てもらうことにしました。
今日の夜は村西さんに大変御迷惑を掛けることになってしまいましたが、村西さんが、お粥を作って下さったり、お薬をくれたり、本当に親切にして下さるので、今晩は安心して寝れそうです。

がっ!
全く動けません!
“気”は引き締めたんですが、何故かお腹がユルユルで、昨日の夜中から一時間置きにトイレに駆け込んでいて、結局一睡も出来ませんでした。
朝になっても、一時間おきのトイレ通いは続いていて、気付けばお昼になっていました。
「このまま、体調がよくなるのを待っていたら、一日中動けなくなる!“病は気から”気持ちで何とかなるはず!俺のお腹は治った!」
と、お腹の機嫌がいいときを見計らって、強引に歩き出しました。しかし、そんな子供騙しが通用する訳なく、歩き始めて直ぐにお腹の機嫌がまた悪くなり、コンビニに駆け込むことになってしまいました。
こんなことで、歩くことを諦める訳にもいかず、考えた結果。
「やっぱり、鹿児島市内に着いたことで安心してしまい、緊張感が無くなってしまっている。緊張感を出すためにはハイペースで歩けばいいんだ!」
と、何の根拠もない結論に達し、今度はハイペースで歩いてみることにしました。
しかし、そんなに世の中上手くいくはずが・・・ありました!
何と!ハイペースで歩いてみると、お腹の機嫌が全く悪くならないのです。
あまりの効果に自分でも驚きましたが「これで前に進めるぞ!」と、午前中の遅れを取り戻すためにもガンガン歩き続けました。
そして、かなり歩いた所でお腹の機嫌も、もう大丈夫そうだったので、いつものペースに戻し、今日の目的地国分を・・・・・・?
んっ!
この感じは!
ヤバイ!
あっ痛タタタタタタタ!
また、機嫌が悪くなった?!
と、再び腹痛が襲ってきました。
仕方なく、急いでトイレの有りそうな場所を目指しハイペースで歩きました。しかし、こんな時に限ってコンビニもガソリンスタンドも公園も見付からないもので、人生最大のピンチを・・・・・・?
あれ?痛くない!
波が去ったというより全然大丈夫になってる?
どうやら、どういう理由か解りませんが、僕のお腹はペースを落とすと機嫌が悪くなるようで、決してペースを落とすことができなくなってしまったようです。
その結果、常にハイペースで歩き続けなければならなくなってしまい、もし、ペースを落とそうものなら、容赦なく“〇〇〇爆弾”が肛門で爆発することになってしまう、まるで映画の“スピード1”に似た状態になってしまいました。
仕方なくハイペースで歩き続けましたが、そんなハイペースがいつまでも続けられる筈もなく、ついに加治木町という町で力尽き、歩けなくなってしまいました。
そこで仕方なく、今日泊めて頂くことになっていた“楽歩隊”の哲也さんのお母さんが紹介して下さった、写真の村西さんと連絡を取り、とりあえず電車で村西さんの家の側まで行き、車で迎えに来てもらうことにしました。
今日の夜は村西さんに大変御迷惑を掛けることになってしまいましたが、村西さんが、お粥を作って下さったり、お薬をくれたり、本当に親切にして下さるので、今晩は安心して寝れそうです。

2005/08/01(月) 22:30:35| 田代32画像旅日記|
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昨日の日記には書けませんでしたが、写真の上久保さんには本当にお世話になってしまいました。
昨夜、晩御飯をご馳走になりながら、
「後少しと思って安心しないで、ゴールまで何があるかわからないから、もう一度ここからスタートするつもりで、気を引き締めなさい!」
と、鹿児島市内に着いたことで、かなり満足し緩みそうになっていた僕の気持ちを見透かしたような、先人ならではのアドバイスをして下さり、本当に凄いホテルまで用意して頂きました。
更に、今日僕が駅前でネタをやれるようにと、鹿児島中央駅の方々に連絡を取って下さり、僕のために駅前のベストポイントのスペースを無料(本来は有料スペース)で確保して下さり、いつも、ビクビクしながら駅前でネタをしていましたが、それを気にせず、おもいっきりネタをやらせてもらえるようにして下さりました。
そして、今日ホテルのベットで爽やかに目覚め、早速、ネタをやらせてもらう駅前に行きネタの準備をし、上久保さんも来て頂き、いざ!ネタを始めようとした時!
本当に運悪く、昨日に続いての大雨が降りだしてしまいました。
その雨は、アッという間に電車がストップする程の雨で、とてもネタをやれる状態ではなくなり、本当に残念でしたが、路上ライブをすることが出来ませんでした。
しかし、別の仕事で、そちらに行かなければならない上久保さんが、別れ際に「ゴールしたら、また、ここに寄ってよ!そしたら、ゴールのご褒美にしゃぶしゃぶご馳走するから!」と、凄い嬉しいゴール後のプレゼントを約束してくれました。
そして、結局雨が一日降り続いてしまったため、鹿児島での路上ライブは出来ませんでしたが、上久保さんと言う“これぞ九州男児”という、兄貴肌の本当に“面倒見の良い”というか“良すぎ”の素敵な方に出会え、更に「まだゴールした訳では無く、最後まで気を緩めないで行かないと、何があるかわからない!」という、貴重なアドバイスを頂き、上久保さんから“心の旅資金”を沢山提供して頂きました。
さぁ?!これで、後は本当にゴールの佐多岬だけを目指して歩くだけになりました。
後、おそらく5日でこの旅も終れそうです。最後まで気を緩めず歩き続けようと思います。

昨夜、晩御飯をご馳走になりながら、
「後少しと思って安心しないで、ゴールまで何があるかわからないから、もう一度ここからスタートするつもりで、気を引き締めなさい!」
と、鹿児島市内に着いたことで、かなり満足し緩みそうになっていた僕の気持ちを見透かしたような、先人ならではのアドバイスをして下さり、本当に凄いホテルまで用意して頂きました。
更に、今日僕が駅前でネタをやれるようにと、鹿児島中央駅の方々に連絡を取って下さり、僕のために駅前のベストポイントのスペースを無料(本来は有料スペース)で確保して下さり、いつも、ビクビクしながら駅前でネタをしていましたが、それを気にせず、おもいっきりネタをやらせてもらえるようにして下さりました。
そして、今日ホテルのベットで爽やかに目覚め、早速、ネタをやらせてもらう駅前に行きネタの準備をし、上久保さんも来て頂き、いざ!ネタを始めようとした時!
本当に運悪く、昨日に続いての大雨が降りだしてしまいました。
その雨は、アッという間に電車がストップする程の雨で、とてもネタをやれる状態ではなくなり、本当に残念でしたが、路上ライブをすることが出来ませんでした。
しかし、別の仕事で、そちらに行かなければならない上久保さんが、別れ際に「ゴールしたら、また、ここに寄ってよ!そしたら、ゴールのご褒美にしゃぶしゃぶご馳走するから!」と、凄い嬉しいゴール後のプレゼントを約束してくれました。
そして、結局雨が一日降り続いてしまったため、鹿児島での路上ライブは出来ませんでしたが、上久保さんと言う“これぞ九州男児”という、兄貴肌の本当に“面倒見の良い”というか“良すぎ”の素敵な方に出会え、更に「まだゴールした訳では無く、最後まで気を緩めないで行かないと、何があるかわからない!」という、貴重なアドバイスを頂き、上久保さんから“心の旅資金”を沢山提供して頂きました。
さぁ?!これで、後は本当にゴールの佐多岬だけを目指して歩くだけになりました。
後、おそらく5日でこの旅も終れそうです。最後まで気を緩めず歩き続けようと思います。

2005/07/31(日) 18:30:21| 田代32画像旅日記|
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着いた??????!遂に、東京を出発してから107日目、やっとこさ、この旅最後の大きな町鹿児島中央駅に到着しました。
本当に長かったよ?!&キツかったよ?!&頑張ったよ?!
なにしろ、今日はこの107日間の中で三本の指に入るくらい本当に大変な一日で、鹿児島市内入りを阻むかのように、様々な敵に襲われました。
でも、途中何度もくじけそうになりながらも、最後まで諦めずに頑張って歩いたので、その分“ジャバ”も本当にいい仕事をしてくれ、ゴールの鹿児島市内で、またまた素敵な出会いがありました!
まず、最初の敵が、明け方降りだしたもの凄い雨でした。幸いにも屋根の着いたベンチで寝ていたため、濡れずにすんだのですが、その後、風も加わり屋根があることなど関係なくなるくらいの、横殴りの雨になり、仕方なく急遽荷物をビニールで包み眠い目を擦りながら出発することにしました。
出発すると直ぐに、さっきまでの横殴りの雨が嘘のように上がったのですが、次に直ぐ新しい敵が襲ってきて、それは30分程歩いたところでの突然嘔吐で、おそらく昨日の暑さと今日の寝不足からだと思うのですが、この旅初めての嘔吐に“びっくり”してしまいました。
そして、まだまだ敵は増え、昼過ぎ伊集院町という町を歩いていた時に、町内放送が流れ「只今、鹿児島県地方に大雨・洪水・雷 警報が発令されました!町民の皆さんは外出をしないようにして下さい!」
と“外出しっぱなしの僕はどうしたらよいのか?”質問したくなる放送が流れ、その直後、今まで体験したことのないような、大粒で一粒一粒が重たい、凄い量の雨が降りだしました。
この時点で、僕の心を折るには充分な敵の数で、実際半分くらいは「今日はもういいか!」と思っていました。しかし、この大雨の中、まだ諦めず歩き続けていた僕に、更に更に容赦なく敵は増え続け、静岡県から1000KM以上、僕の重い荷物を運んでくれた“二代目のキャスター”が遂に根本から完全に折れてしまいました。
これで、完全に動くことが出来なくなりましたが、ここまで来ると僕もムキになっていて
“絶対歩いてやる”
と思っていて、強引に折れた部分をガムテでグルグル巻きにし、歩き続けました。
すると、遂に数々の敵を送り込んできた奴らも諦めたらしく、雨も上がり、遂に僕の完全勝利となりました。
そして、夜の8時無事、鹿児島中央駅に到着し、数々の敵に勝利した僕にとっても素晴らしいご褒美が待ってました。
それは、この旅を最初からず?と見守って下さっている大先輩の“コント山口君と竹田君”の山口さんが紹介して下さった、JR九州で働かれている上久保さんが、晩御飯をご馳走してくださり
何と!何と!何と!
今晩泊まるホテルまで用意して下さいました。
更に、上久保さんと別れた後に、今日市内で偶然出会った“成田さん”から連絡があり、“友達と飲んでるから来ませんか?”と誘って頂き、写真の成田さんのお友達と夜中まで、楽しい時間を過ごすことができました。
この旅では、何回も経験してきましたが、やっぱり今日も
“大変な事はず?と続く訳ではなく、その先には必ずいい事が待っている”
と再確認させてもらえる一日でした。
そして、頑張れば“ジャバ”が絶対いい仕事をしてくれることも、再確認できました。


本当に長かったよ?!&キツかったよ?!&頑張ったよ?!
なにしろ、今日はこの107日間の中で三本の指に入るくらい本当に大変な一日で、鹿児島市内入りを阻むかのように、様々な敵に襲われました。
でも、途中何度もくじけそうになりながらも、最後まで諦めずに頑張って歩いたので、その分“ジャバ”も本当にいい仕事をしてくれ、ゴールの鹿児島市内で、またまた素敵な出会いがありました!
まず、最初の敵が、明け方降りだしたもの凄い雨でした。幸いにも屋根の着いたベンチで寝ていたため、濡れずにすんだのですが、その後、風も加わり屋根があることなど関係なくなるくらいの、横殴りの雨になり、仕方なく急遽荷物をビニールで包み眠い目を擦りながら出発することにしました。
出発すると直ぐに、さっきまでの横殴りの雨が嘘のように上がったのですが、次に直ぐ新しい敵が襲ってきて、それは30分程歩いたところでの突然嘔吐で、おそらく昨日の暑さと今日の寝不足からだと思うのですが、この旅初めての嘔吐に“びっくり”してしまいました。
そして、まだまだ敵は増え、昼過ぎ伊集院町という町を歩いていた時に、町内放送が流れ「只今、鹿児島県地方に大雨・洪水・雷 警報が発令されました!町民の皆さんは外出をしないようにして下さい!」
と“外出しっぱなしの僕はどうしたらよいのか?”質問したくなる放送が流れ、その直後、今まで体験したことのないような、大粒で一粒一粒が重たい、凄い量の雨が降りだしました。
この時点で、僕の心を折るには充分な敵の数で、実際半分くらいは「今日はもういいか!」と思っていました。しかし、この大雨の中、まだ諦めず歩き続けていた僕に、更に更に容赦なく敵は増え続け、静岡県から1000KM以上、僕の重い荷物を運んでくれた“二代目のキャスター”が遂に根本から完全に折れてしまいました。
これで、完全に動くことが出来なくなりましたが、ここまで来ると僕もムキになっていて
“絶対歩いてやる”
と思っていて、強引に折れた部分をガムテでグルグル巻きにし、歩き続けました。
すると、遂に数々の敵を送り込んできた奴らも諦めたらしく、雨も上がり、遂に僕の完全勝利となりました。
そして、夜の8時無事、鹿児島中央駅に到着し、数々の敵に勝利した僕にとっても素晴らしいご褒美が待ってました。
それは、この旅を最初からず?と見守って下さっている大先輩の“コント山口君と竹田君”の山口さんが紹介して下さった、JR九州で働かれている上久保さんが、晩御飯をご馳走してくださり
何と!何と!何と!
今晩泊まるホテルまで用意して下さいました。
更に、上久保さんと別れた後に、今日市内で偶然出会った“成田さん”から連絡があり、“友達と飲んでるから来ませんか?”と誘って頂き、写真の成田さんのお友達と夜中まで、楽しい時間を過ごすことができました。
この旅では、何回も経験してきましたが、やっぱり今日も
“大変な事はず?と続く訳ではなく、その先には必ずいい事が待っている”
と再確認させてもらえる一日でした。
そして、頑張れば“ジャバ”が絶対いい仕事をしてくれることも、再確認できました。


2005/07/30(土) 23:59:15| 田代32画像旅日記|
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今日は朝6時に起き、哲也さんのお父さんに近くの温泉に連れて行ってもらい、朝風呂にお父さんと一緒に入ってきました。
この温泉が本当に目が覚めるような熱さで、熱いお風呂が好きな僕も、なかなか入ることができず、もしここにダチョウ倶楽部さんがいたら確実にあの熱湯名人芸を楽しめるくらいの熱さでした。
そして、お家に戻り朝御飯をご馳走になり、午前9時心も体も完全復活させて頂いた、哲也さんのご両親にしばしの別れを告げ、帰りにまた寄らせてもらうことを約束し、鹿児島の僕の実家を出発しました。
途中、また鹿児島の綺麗な海に目を奪われ、海を見ながら休憩を取りつつ、今日は目的地も決めずノンビリ歩いていました。
しかし、ノンビリ歩いているにも関わらず、この鹿児島の熱さは半端なく体にキツク、本当に陽射しが肌に突き刺さるように痛くて、体力を相当奪われ一人“あち?いよ!”を連発しながら歩いていました。
すると、そんなだらしない僕の姿を見てか、途中 八百屋さんのお父さんが
“バナナでも持ってけ!”
と、バナナの差し入れを下さったり、神村学園という学校の前を通った時は、僕が歩いて来た西日本の何処の県でも共通している“元気でいつもテンションの高い女子高生軍団”が居て「すげぇ?!頑張って!」と、応援してもらい元気をわけてもらいました。
鹿児島に入ってから凄く思うのが、鹿児島と他の県とは大きな違いがあり、それは、言葉が急に全く解らなくなったのと、もう一つ、僕が旅をしている事に気付く気付かない関係なしに、ほとんどの方が(田舎道ばかりで、そんなに沢山の人とすれちがった訳ではないですが)「こんにちは!」とちゃんと挨拶して下さることに驚きました。
これは、防犯のためもあるのかもしれませんが“この県の人達はどんな人達なんだろう?”と不安になっている、旅人にとっては“何かいい人が一杯いそうだ”と凄く安心感と期待をを持たせてくれる、とっても嬉しい行為で、他県ではあまり見られない、鹿児島のいい所の一つだと思いました。
そして、沢山の方に声を掛けて頂き元気をもらって、夕方25KMほど歩いた“市来”という町に着き、公園を見つけたので今日はここで野宿をすることにしました。
さぁ?明日はいよいよ鹿児島市内に到着します。
いよいよこれが最後の大きな町になり、その後はひたすらゴールの佐多岬を目指すだけになります。
本当に後少し、頑張るぞ?!

この温泉が本当に目が覚めるような熱さで、熱いお風呂が好きな僕も、なかなか入ることができず、もしここにダチョウ倶楽部さんがいたら確実にあの熱湯名人芸を楽しめるくらいの熱さでした。
そして、お家に戻り朝御飯をご馳走になり、午前9時心も体も完全復活させて頂いた、哲也さんのご両親にしばしの別れを告げ、帰りにまた寄らせてもらうことを約束し、鹿児島の僕の実家を出発しました。
途中、また鹿児島の綺麗な海に目を奪われ、海を見ながら休憩を取りつつ、今日は目的地も決めずノンビリ歩いていました。
しかし、ノンビリ歩いているにも関わらず、この鹿児島の熱さは半端なく体にキツク、本当に陽射しが肌に突き刺さるように痛くて、体力を相当奪われ一人“あち?いよ!”を連発しながら歩いていました。
すると、そんなだらしない僕の姿を見てか、途中 八百屋さんのお父さんが
“バナナでも持ってけ!”
と、バナナの差し入れを下さったり、神村学園という学校の前を通った時は、僕が歩いて来た西日本の何処の県でも共通している“元気でいつもテンションの高い女子高生軍団”が居て「すげぇ?!頑張って!」と、応援してもらい元気をわけてもらいました。
鹿児島に入ってから凄く思うのが、鹿児島と他の県とは大きな違いがあり、それは、言葉が急に全く解らなくなったのと、もう一つ、僕が旅をしている事に気付く気付かない関係なしに、ほとんどの方が(田舎道ばかりで、そんなに沢山の人とすれちがった訳ではないですが)「こんにちは!」とちゃんと挨拶して下さることに驚きました。
これは、防犯のためもあるのかもしれませんが“この県の人達はどんな人達なんだろう?”と不安になっている、旅人にとっては“何かいい人が一杯いそうだ”と凄く安心感と期待をを持たせてくれる、とっても嬉しい行為で、他県ではあまり見られない、鹿児島のいい所の一つだと思いました。
そして、沢山の方に声を掛けて頂き元気をもらって、夕方25KMほど歩いた“市来”という町に着き、公園を見つけたので今日はここで野宿をすることにしました。
さぁ?明日はいよいよ鹿児島市内に到着します。
いよいよこれが最後の大きな町になり、その後はひたすらゴールの佐多岬を目指すだけになります。
本当に後少し、頑張るぞ?!

2005/07/29(金) 19:00:00| 田代32画像旅日記|
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今日は、阿久根町から川内市を目指し朝9時に出発しました。
途中、阿久根の“道の駅”があり休憩すると、この“道の駅”が海ぞいで、とっても素晴らしい場所にあり、ここから見える景色がとってもよく、特に鹿児島の海の美しさには本当に驚かせられました。
あまりの景色のよさに予定より長く休憩してしまいましたが、夕方無事川内市に入ることができました。
そして、川内市に入って一軒目のローソンにより「今日も頑張って歩いた自分へのご褒美」と言うより、途中からは、完全にこの旅の目的の一つになった
“ガリガリくんの当たりを出し、もう一本もらう!”
を達成するために、ガリガリくんを買いました。
静岡県からこの目標を持ちはじめ、今日までほとんど毎日のように一日一本づつ食べ続けてきましたが、全く当たることがなく、僕の中では「本当は当たりなんか入ってないんじゃないか?」と思うくらい、当たりがでませんでした。
それが、遂に!ここ鹿児島、最後の県で、やっと“当たり”を出すことが出来ました!
あまりの嬉しさに、この喜びを誰かに伝えたくなり、偶然通った地元の中学生に「当たった!当たったよ!」と、当たりの棒を握りしめながら、自慢すると、あまりの突然の出来事にビックリしていた中学生達でしたが、もの凄い戸惑った表情をしながらも
「お・お・お・おめでとうございます。」と、嬉しい一言を言ってくれました。
その後、当たった感激を一生忘れたくなかったので、当たり棒を大切にカバンの中にしまい、交換すること無くローソンを後にしました。
そして、午後9時今日の夜一晩お世話になる堀之内さんのお宅に到着しました。
何故?この堀之内さんのお宅に泊めて貰える事になったのかと言うと、こちらのご夫婦(写真のお二人)は道中偶然に出会い“てんつくマン”や“元気の種”の皆さんと出会わせてくれ、僕の旅を大きく変えてくれた“楽歩隊”の一人哲也さんの、お父さんとお母さんで、哲也さんが僕のためにワザワザご両親に連絡をとってくれ、泊めてもらえることになりました。
そして、突然お邪魔したにも関わらず、哲也さんのご両親が本当に親切にして下さり、沢山の鹿児島郷土料理をご馳走して下さり、更に、本当に嬉しいフカフカのお布団まで用意して頂きました。
哲也さんは、初めて会って初対面のため、まだ閉ざしている人の心を自然に開き入ってくることの出来る、不思議な空気を持っていたのですが、流石!親子で、お父さんとお母さんも全く同じ空気を持ってらして、まるで実家に居るようにノンビリとさせてもらい、沢山の楽しいお話しをし本当に素敵な時間を過ごさせてもらいました。
これでまた、鹿児島にも長男が僕より10歳も若い、僕の実家ができました。
そんな出会いをして下さった、哲也さんとご両親に心から感謝です!



途中、阿久根の“道の駅”があり休憩すると、この“道の駅”が海ぞいで、とっても素晴らしい場所にあり、ここから見える景色がとってもよく、特に鹿児島の海の美しさには本当に驚かせられました。
あまりの景色のよさに予定より長く休憩してしまいましたが、夕方無事川内市に入ることができました。
そして、川内市に入って一軒目のローソンにより「今日も頑張って歩いた自分へのご褒美」と言うより、途中からは、完全にこの旅の目的の一つになった
“ガリガリくんの当たりを出し、もう一本もらう!”
を達成するために、ガリガリくんを買いました。
静岡県からこの目標を持ちはじめ、今日までほとんど毎日のように一日一本づつ食べ続けてきましたが、全く当たることがなく、僕の中では「本当は当たりなんか入ってないんじゃないか?」と思うくらい、当たりがでませんでした。
それが、遂に!ここ鹿児島、最後の県で、やっと“当たり”を出すことが出来ました!
あまりの嬉しさに、この喜びを誰かに伝えたくなり、偶然通った地元の中学生に「当たった!当たったよ!」と、当たりの棒を握りしめながら、自慢すると、あまりの突然の出来事にビックリしていた中学生達でしたが、もの凄い戸惑った表情をしながらも
「お・お・お・おめでとうございます。」と、嬉しい一言を言ってくれました。
その後、当たった感激を一生忘れたくなかったので、当たり棒を大切にカバンの中にしまい、交換すること無くローソンを後にしました。
そして、午後9時今日の夜一晩お世話になる堀之内さんのお宅に到着しました。
何故?この堀之内さんのお宅に泊めて貰える事になったのかと言うと、こちらのご夫婦(写真のお二人)は道中偶然に出会い“てんつくマン”や“元気の種”の皆さんと出会わせてくれ、僕の旅を大きく変えてくれた“楽歩隊”の一人哲也さんの、お父さんとお母さんで、哲也さんが僕のためにワザワザご両親に連絡をとってくれ、泊めてもらえることになりました。
そして、突然お邪魔したにも関わらず、哲也さんのご両親が本当に親切にして下さり、沢山の鹿児島郷土料理をご馳走して下さり、更に、本当に嬉しいフカフカのお布団まで用意して頂きました。
哲也さんは、初めて会って初対面のため、まだ閉ざしている人の心を自然に開き入ってくることの出来る、不思議な空気を持っていたのですが、流石!親子で、お父さんとお母さんも全く同じ空気を持ってらして、まるで実家に居るようにノンビリとさせてもらい、沢山の楽しいお話しをし本当に素敵な時間を過ごさせてもらいました。
これでまた、鹿児島にも長男が僕より10歳も若い、僕の実家ができました。
そんな出会いをして下さった、哲也さんとご両親に心から感謝です!



2005/07/28(木) 23:59:36| 田代32画像旅日記|
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今日は、昨日の“三太郎峠”越えの疲れか、朝から体が重く思う用に前に進めませんでした。
それでも、何とか最近目標にしている、一日30KMを目指して歩いていましたが、歩いても歩いても、なかなか減らない距離に気持ちが直ぐに負けてしまい、休憩ばかり取っていました。
なかなか前に進めず、休んでばかりいながらも「目標の30KMは歩くぞ!負けるな?!」と自分に気合いを入れ、何度も再スタートしていたのですが、また直ぐに気持ちが負けてしまい休んでしまっていました。
そんな自分の精神的な弱さにイライラし、情けなく思っていた時に、最悪の相手からメールがきました。
それは、僕の友達の嫁なんですが、この嫁が旅がスタートした時から定期的にメールをくれているのですが、その内容が携帯の充電を無駄に減らしてくれるだけの、本当に何の役にも立たないどうでもいい内容のメールばかりで、勿論今日も僕の辛い状況などとは全く関係のない
「晩御飯なにしようかな??」
と言うものでした。
あまりの暑さとイライラしていたこともあり、つい僕は
「そんなの知るか!こっちは歩くの大変なんだぞ!」
と、少し切れ気味の返信をしてしまいました。
すると、この嫁からこの旅初めて本当に役に立つメールがきました。
それは、
「歩きたくなかったら歩かなくていいんじゃない!」
と、もの凄く単純なものでしたが、そのメールを見た時僕は、
「そっか!別に誰かに指示されて30KM歩かされてる訳じゃないんだから、無理して歩かなくてもいいのか!休んでいいんだ!」
と、今まで張り詰めてピリピリしていた気持ちが急に楽になり、肩の力が抜け気分的にも凄い楽になりました。そして
「今日はいいや歩けるとこまで行って、キツクなったらそこで歩くのやめよう。」
と思い直して再び歩き出しました。
すると、今まであんなに辛かったのが嘘のように体も気持ちも軽くなり、スイスイ歩け、無事昼過ぎ遂に15個目の新しい県であり、そして、この旅最後の県鹿児島県に突入することができました。
何でもそうなのかも知れませんが、自分で自分を追い込み必死になりすぎて、周りが見えなくなってしまうと、どんどん辛くなるばかりで、楽しかった事も楽しくなくなってしまうようです。そんな時は、
「別にいいんじゃん!」
と、一旦肩の力を抜いてみると、急に視界がひけて気持ちが楽になり、新たな力が湧いてくることがあるようです。
多分、本人は大した意味も無く、今まで通りの何の役にも立たないメールと同じつもりだったのでしょうが、そんな自然体な友達の嫁のメールに救われ、結果的に無事30KM歩き、阿久根町まで歩くことができました。

それでも、何とか最近目標にしている、一日30KMを目指して歩いていましたが、歩いても歩いても、なかなか減らない距離に気持ちが直ぐに負けてしまい、休憩ばかり取っていました。
なかなか前に進めず、休んでばかりいながらも「目標の30KMは歩くぞ!負けるな?!」と自分に気合いを入れ、何度も再スタートしていたのですが、また直ぐに気持ちが負けてしまい休んでしまっていました。
そんな自分の精神的な弱さにイライラし、情けなく思っていた時に、最悪の相手からメールがきました。
それは、僕の友達の嫁なんですが、この嫁が旅がスタートした時から定期的にメールをくれているのですが、その内容が携帯の充電を無駄に減らしてくれるだけの、本当に何の役にも立たないどうでもいい内容のメールばかりで、勿論今日も僕の辛い状況などとは全く関係のない
「晩御飯なにしようかな??」
と言うものでした。
あまりの暑さとイライラしていたこともあり、つい僕は
「そんなの知るか!こっちは歩くの大変なんだぞ!」
と、少し切れ気味の返信をしてしまいました。
すると、この嫁からこの旅初めて本当に役に立つメールがきました。
それは、
「歩きたくなかったら歩かなくていいんじゃない!」
と、もの凄く単純なものでしたが、そのメールを見た時僕は、
「そっか!別に誰かに指示されて30KM歩かされてる訳じゃないんだから、無理して歩かなくてもいいのか!休んでいいんだ!」
と、今まで張り詰めてピリピリしていた気持ちが急に楽になり、肩の力が抜け気分的にも凄い楽になりました。そして
「今日はいいや歩けるとこまで行って、キツクなったらそこで歩くのやめよう。」
と思い直して再び歩き出しました。
すると、今まであんなに辛かったのが嘘のように体も気持ちも軽くなり、スイスイ歩け、無事昼過ぎ遂に15個目の新しい県であり、そして、この旅最後の県鹿児島県に突入することができました。
何でもそうなのかも知れませんが、自分で自分を追い込み必死になりすぎて、周りが見えなくなってしまうと、どんどん辛くなるばかりで、楽しかった事も楽しくなくなってしまうようです。そんな時は、
「別にいいんじゃん!」
と、一旦肩の力を抜いてみると、急に視界がひけて気持ちが楽になり、新たな力が湧いてくることがあるようです。
多分、本人は大した意味も無く、今まで通りの何の役にも立たないメールと同じつもりだったのでしょうが、そんな自然体な友達の嫁のメールに救われ、結果的に無事30KM歩き、阿久根町まで歩くことができました。

2005/07/27(水) 23:00:00| 田代32画像旅日記|
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昨日は、夜7時に芦北の“道の駅”に到着し、そこで一晩過ごすことにしましが、この“道の駅”が最高の場所で、24時間利用できる畳の敷いてある無料休憩所と、何と!クーラーまで付いていました。
「こんな素敵な場所なら遅い時間になったら、沢山のドライバーさんや旅人がくるんだろうなー」と思っていましたが、何と!朝まで僕一人で、少し新しい出会いを期待していただけに残念でしたが、お陰で朝までグッスリ寝ることができ最高の夜でした。
そして、朝旅人にとって本当に嬉しい、こんな素晴らしい施設を作ってくれた、国の誰か様に感謝しつつ“元気一杯”九州地方最大の難所、三つの峠が続く“三太郎峠”という、途中で出会った旅人の皆さんが口を揃えて「大変だよ!」と言っていた峠越えに挑みました。
まず、最初の峠に挑みましたが、僕は旅の最初に箱根という、とんでもない峠を経験しているので、それに比べたらどの峠も可愛い物で、今日もアッサリ頂上付近まで一気に登ってしまい「楽勝!楽勝!」と、たくましくなった自分に惚れ惚れしていました。
しか??????し!
その先にとんでもない地獄が待っていました。
それは、写真の“佐敷トンネル”で、長さが1570mもあり、国道のためトラックがガンガン走っているにも関わらず、道の端の方に“スーパーモデル”くらいスタイルのいい人なら問題無く歩ける幅に白線が引いてあるだけで、歩道といえる歩道がほとんど無い、命がけのトンネルがありました。
これまで数々の危険な場所を歩いて来た流石の僕も、トンネルの入り口で暫し躊躇してしまいましたが、ドライバーさん達を信じて、トンネルに突入しました。
すると、どうやらこのトンネルは古いトンネルらしく、排煙装置が付いていないので、車の俳気ガスとホコリで中は、まともに息ができなる状態では無く、更に、トラック同士がすれちがう時などは、それだけで道幅一杯で、本当に僕の横スレスレをトラックが通りすぎて行くので恐ろしくてしょうがありませんでした。
仕方なく、途中何度も息苦しいトンネルの中で振り返りながら、車が接近するたび立ち止まり先に行ってもらい、そんなことを何度も繰り返しながら歩いていたので、なかなか進めず本当に辛かったです。
そして、途中車の接近に気付かず、僕が原因で渋滞になっていたりして、ドライバーの皆さんに迷惑を掛けながらも、やっとトンネルを脱出することができました。
すると、その先にクタクタになって、俳気ガスとホコリで汚れた体を洗えと言わんばかりの、綺麗な川が流れていたので、思わず素裸になって水浴びをしてしまいました。これが本当に気持ちよくて、一気に疲れが吹っ飛び“自然の力”の凄さを感じました。
そして、夜水俣市に到着し写真の素敵な公園を見付けたので、ここで野宿することにしました。
九州最大の難所“三太郎峠”は、今までの峠の辛さとは一味違ったものでしたが、確かに噂通りの大変な峠越えでした。



「こんな素敵な場所なら遅い時間になったら、沢山のドライバーさんや旅人がくるんだろうなー」と思っていましたが、何と!朝まで僕一人で、少し新しい出会いを期待していただけに残念でしたが、お陰で朝までグッスリ寝ることができ最高の夜でした。
そして、朝旅人にとって本当に嬉しい、こんな素晴らしい施設を作ってくれた、国の誰か様に感謝しつつ“元気一杯”九州地方最大の難所、三つの峠が続く“三太郎峠”という、途中で出会った旅人の皆さんが口を揃えて「大変だよ!」と言っていた峠越えに挑みました。
まず、最初の峠に挑みましたが、僕は旅の最初に箱根という、とんでもない峠を経験しているので、それに比べたらどの峠も可愛い物で、今日もアッサリ頂上付近まで一気に登ってしまい「楽勝!楽勝!」と、たくましくなった自分に惚れ惚れしていました。
しか??????し!
その先にとんでもない地獄が待っていました。
それは、写真の“佐敷トンネル”で、長さが1570mもあり、国道のためトラックがガンガン走っているにも関わらず、道の端の方に“スーパーモデル”くらいスタイルのいい人なら問題無く歩ける幅に白線が引いてあるだけで、歩道といえる歩道がほとんど無い、命がけのトンネルがありました。
これまで数々の危険な場所を歩いて来た流石の僕も、トンネルの入り口で暫し躊躇してしまいましたが、ドライバーさん達を信じて、トンネルに突入しました。
すると、どうやらこのトンネルは古いトンネルらしく、排煙装置が付いていないので、車の俳気ガスとホコリで中は、まともに息ができなる状態では無く、更に、トラック同士がすれちがう時などは、それだけで道幅一杯で、本当に僕の横スレスレをトラックが通りすぎて行くので恐ろしくてしょうがありませんでした。
仕方なく、途中何度も息苦しいトンネルの中で振り返りながら、車が接近するたび立ち止まり先に行ってもらい、そんなことを何度も繰り返しながら歩いていたので、なかなか進めず本当に辛かったです。
そして、途中車の接近に気付かず、僕が原因で渋滞になっていたりして、ドライバーの皆さんに迷惑を掛けながらも、やっとトンネルを脱出することができました。
すると、その先にクタクタになって、俳気ガスとホコリで汚れた体を洗えと言わんばかりの、綺麗な川が流れていたので、思わず素裸になって水浴びをしてしまいました。これが本当に気持ちよくて、一気に疲れが吹っ飛び“自然の力”の凄さを感じました。
そして、夜水俣市に到着し写真の素敵な公園を見付けたので、ここで野宿することにしました。
九州最大の難所“三太郎峠”は、今までの峠の辛さとは一味違ったものでしたが、確かに噂通りの大変な峠越えでした。



2005/07/26(火) 19:00:00| 田代32画像旅日記|
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今朝9時半八代駅に戻って来て、この旅でもう何回目になるか分からない“再スタート”を切り、今日の目的地芦北の“道の駅”を目指し歩き始めました。
すると、途中で本当に嬉しい連携プレーによるお弁当の差し入れを突然頂きました。
どういう事かというと、暑さの厳しくなってきた昼前に一軒の定食屋さんの前を通り過ぎようとすると、お店の前に写真の皆さんが立たれていて、僕に突然「お弁当作って待ってたから、これ食べて頑張んな!」と、お弁当の差し入れを下さいました。
あまりの突然の出来事に、頭の中が?マークで一杯になっていた僕でしたが、有り難くお弁当を頂き「待っていた?」の意味を尋ねてみると、本当にびっくりし、また、本当に感激しました。
どういう流れでお弁当を差し入れして下さったかというと、まず、このお店の何キロか手前で写真にはいない別の方が僕を見掛けられ、その方がこちらのお店に連絡をし、それを聞いたこちらの皆さんが急いで僕の為にお弁当を作って下さったそうで、その気持ちの連携に本当感激しました。
だって、おそらくですが、最初僕を見掛けられた方は僕に“何かしたい”と思って下さり、その気持ちだけでも充分嬉しいのに、その親切な気持ちを何かの理由で僕に伝えられない為に、このお店の方達にその気持ちを託し、そして、このお店の方達がその気持ちを引き継いで、僕にお弁当を作って下さった訳ですから、感激しないはずがありません。
何かよくわかりませんが、そこまでして下さるこちらの皆さんは“本当に凄い”と思うのは勿論ですが、それと同時に、「そこまで“歩き旅”というのは人の気持ちを動かすものなのか?」と、僕には今だ全く自覚がないのですが、どうやら凄い事を僕はしているらしく、皆さんの期待と、途中で投げ出せない責任の重さを実感することが出来、もう僕一人の旅ではなくなっている事も実感出来ました。
考えたら、今まで沢山の方々に助けられ、その中の一人でも欠けていたら、きっとこの旅は途中で終わっていたことでしょう。
そんな奇跡の旅を台無しにしないように、ゴールの佐多岬まで皆さんの気持ちと一緒に頑張って歩いて行こうと思います。

すると、途中で本当に嬉しい連携プレーによるお弁当の差し入れを突然頂きました。
どういう事かというと、暑さの厳しくなってきた昼前に一軒の定食屋さんの前を通り過ぎようとすると、お店の前に写真の皆さんが立たれていて、僕に突然「お弁当作って待ってたから、これ食べて頑張んな!」と、お弁当の差し入れを下さいました。
あまりの突然の出来事に、頭の中が?マークで一杯になっていた僕でしたが、有り難くお弁当を頂き「待っていた?」の意味を尋ねてみると、本当にびっくりし、また、本当に感激しました。
どういう流れでお弁当を差し入れして下さったかというと、まず、このお店の何キロか手前で写真にはいない別の方が僕を見掛けられ、その方がこちらのお店に連絡をし、それを聞いたこちらの皆さんが急いで僕の為にお弁当を作って下さったそうで、その気持ちの連携に本当感激しました。
だって、おそらくですが、最初僕を見掛けられた方は僕に“何かしたい”と思って下さり、その気持ちだけでも充分嬉しいのに、その親切な気持ちを何かの理由で僕に伝えられない為に、このお店の方達にその気持ちを託し、そして、このお店の方達がその気持ちを引き継いで、僕にお弁当を作って下さった訳ですから、感激しないはずがありません。
何かよくわかりませんが、そこまでして下さるこちらの皆さんは“本当に凄い”と思うのは勿論ですが、それと同時に、「そこまで“歩き旅”というのは人の気持ちを動かすものなのか?」と、僕には今だ全く自覚がないのですが、どうやら凄い事を僕はしているらしく、皆さんの期待と、途中で投げ出せない責任の重さを実感することが出来、もう僕一人の旅ではなくなっている事も実感出来ました。
考えたら、今まで沢山の方々に助けられ、その中の一人でも欠けていたら、きっとこの旅は途中で終わっていたことでしょう。
そんな奇跡の旅を台無しにしないように、ゴールの佐多岬まで皆さんの気持ちと一緒に頑張って歩いて行こうと思います。

2005/07/25(月) 12:00:00| 田代32画像旅日記|
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昨日は八代の敏腕マネージャー渕田さんのお陰で、売れっ子タレントのような忙しい一日を過ごせましたが、その売れっ子タレントなみのスケジュールは、まだ続いていて、昨日新八代駅に渕田さんご家族に送って頂き、電車に飛び乗り向かった先は、
何と!福岡の博多でした!
何故?博多に逆戻りしたのかと言うと、以前僕が博多を訪れた際に知り合い、大変お世話になった“アプロ”の皆さんに「博多でお祭りのイベントをやるので、遊びに来ませんか?」と誘って頂いたので、八代から電車に飛び乗って遊びに来てしまいました。
これで、またまた旅の日程が大幅に遅れる事になってしまうのですが、そんなことより、今は誘って下さったことが嬉しいのと、それに答えることが自然の流れのような気がしたし、何より僕はいつも元気で親切な“アプロ”の人達が大好きなので、会うのがとっても楽しみで、戻らずにはいられませんでした。そして、昨晩は以前泊めて頂いた事務所に、またも泊めて頂き、今日久しぶり(と言っても10日ぶり)に皆さんと再会しました。
久しぶりに再会した“アプロ”の皆さんは、やはり元気一杯で、今回はお祭りのテンションも加わっているので、むしろ以前より更に元気でした。
そして、お祭り会場のステージで僕のミニライブもやらせて頂き、このお祭りに呼ばれていた、マジシャンの小川さんとも知り合い、今後、路上でネタをやる際にお客さん集めに絶対使える、トランプマジックを教えてもらいました。
更に、ミニライブ終了後、僕もハッピを着込み皆さんのお手伝いをしましたが、なかなかお客さんを呼ぶことができませんでした。そこで、さっき小川さんに教えてもらったばかりのトランプマジックを使い、お客さんを呼び込むと、これが以外に成功し売り上げに多少貢献することができました。
お祭り終了後打ち上げをすることとなりましたが、向かった先が何と!海でした!
海に着くなり乾杯もせず、いきなり買ってきた花火が始まりましたが、その花火の楽しみ方が注意書きに“絶対しないで下さい”と書いてある楽しみ方で、しばし砂浜は戦場となり、結局一発の花火も夜空に打ち上げられることはありませんでした。
花火を全部使いきってやっと皆で乾杯をし、海岸に落ちていた木片を集めバーベキューをしたりして楽しみましが、皆さんお祭りのイベントの準備で連日徹夜続きだったらしく、下が砂浜であることなど関係無く、気が付いたら皆んな、死体のように眠り込んでしまっていました。
そんな中ただ一人、僕に付き合うように起きていてくれた、写真の癒し系で天才的な頭脳を持つ、僕が大好きな“修ちゃん”と海を見ながら朝方まで話しをしていました。
そして、八代まで3時間ほどかかるため、まだ死体のように寝ている皆さんに、そっと別れを告げ、明け方博多駅を出発しました。
とにかく、ここ“アプロ”の皆さんは、決して“疲れた”と言う言葉を言わず、常に元気一杯で、皆でお互いを監視しながら切磋琢磨し、それぞれの夢を叶えるために頑張っている人達で、ここの人達も八代の渕田さん同様、歩いてはいないけど、立ち止まる事をしない“立派な旅人だなぁ?”と思いました。

何と!福岡の博多でした!
何故?博多に逆戻りしたのかと言うと、以前僕が博多を訪れた際に知り合い、大変お世話になった“アプロ”の皆さんに「博多でお祭りのイベントをやるので、遊びに来ませんか?」と誘って頂いたので、八代から電車に飛び乗って遊びに来てしまいました。
これで、またまた旅の日程が大幅に遅れる事になってしまうのですが、そんなことより、今は誘って下さったことが嬉しいのと、それに答えることが自然の流れのような気がしたし、何より僕はいつも元気で親切な“アプロ”の人達が大好きなので、会うのがとっても楽しみで、戻らずにはいられませんでした。そして、昨晩は以前泊めて頂いた事務所に、またも泊めて頂き、今日久しぶり(と言っても10日ぶり)に皆さんと再会しました。
久しぶりに再会した“アプロ”の皆さんは、やはり元気一杯で、今回はお祭りのテンションも加わっているので、むしろ以前より更に元気でした。
そして、お祭り会場のステージで僕のミニライブもやらせて頂き、このお祭りに呼ばれていた、マジシャンの小川さんとも知り合い、今後、路上でネタをやる際にお客さん集めに絶対使える、トランプマジックを教えてもらいました。
更に、ミニライブ終了後、僕もハッピを着込み皆さんのお手伝いをしましたが、なかなかお客さんを呼ぶことができませんでした。そこで、さっき小川さんに教えてもらったばかりのトランプマジックを使い、お客さんを呼び込むと、これが以外に成功し売り上げに多少貢献することができました。
お祭り終了後打ち上げをすることとなりましたが、向かった先が何と!海でした!
海に着くなり乾杯もせず、いきなり買ってきた花火が始まりましたが、その花火の楽しみ方が注意書きに“絶対しないで下さい”と書いてある楽しみ方で、しばし砂浜は戦場となり、結局一発の花火も夜空に打ち上げられることはありませんでした。
花火を全部使いきってやっと皆で乾杯をし、海岸に落ちていた木片を集めバーベキューをしたりして楽しみましが、皆さんお祭りのイベントの準備で連日徹夜続きだったらしく、下が砂浜であることなど関係無く、気が付いたら皆んな、死体のように眠り込んでしまっていました。
そんな中ただ一人、僕に付き合うように起きていてくれた、写真の癒し系で天才的な頭脳を持つ、僕が大好きな“修ちゃん”と海を見ながら朝方まで話しをしていました。
そして、八代まで3時間ほどかかるため、まだ死体のように寝ている皆さんに、そっと別れを告げ、明け方博多駅を出発しました。
とにかく、ここ“アプロ”の皆さんは、決して“疲れた”と言う言葉を言わず、常に元気一杯で、皆でお互いを監視しながら切磋琢磨し、それぞれの夢を叶えるために頑張っている人達で、ここの人達も八代の渕田さん同様、歩いてはいないけど、立ち止まる事をしない“立派な旅人だなぁ?”と思いました。

2005/07/24(日) 23:59:25| 田代32画像旅日記|
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今日は、敏腕マネージャー渕田さんのお陰で、売れっ子タレントのような忙しい一日を過すことができました。まず、朝7時に渕田さんのお父さんに八代の魚市場に連れて行ってもらい、魚市場を見学させてもらいました。僕は、お笑いを始める前に築地の市場で働いていたことがあるので、久々の市場の雰囲気に懐かしく昔を思いだしていました。そして、渕田さんのお父さんが市場の方々に僕を紹介して下さり、お話しをしたのですが、この旅で初めて何をしゃべってるのか、訛りが強くて言葉がほとんどわかりませんでした。
仕方なしに得意の愛想笑いで誤魔化しましたが、びっくりするくらい何を言っているのか理解出来ませんでした。
そして、市場でお父さんに朝御飯をご馳走になり、次は昼からジャスコでミニライブをやることになっていたので、それまでお寺に戻り一休みして、お昼過ぎジャスコに行き二時と四時からの二回ミニライブをやらせてもらいました。
その後、昨日の日記に書き忘れていましたが、敏腕マネージャーが更に敏腕ぶりを発揮していて、FMラジオ・ジャスコ以外に、もう一つ僕が昨晩泊めて頂いたお寺が、今日ちょうどお祭りの日だったので、そこでもネタができるように話して下さっていて、お祭りでもネタをやらせてもらいました。
とにかく、忙しい一日で、あっちに行きこっちに行きと八代中を動き回りましたが、常に割烹着を着た敏腕マネージャーが、側にいて下さり、行く先々で申し訳ないくらい気を使って下さったので、本当に助かりました。
あまりの忙しさで、渕田さんとは長い時間一緒にいたのに、あまりお話しができなかったのが本当に残念でしたが、八代で既に立派なお店をやられているのに、まだまだ立ち止まることをせずに、前に進もうとしている姿を見て「渕田さんは、実際に歩いてはいないけど旅人だなぁ?!」と思い、勝手にですが凄い親近感を覚え“また必ず会いたい人リスト”にメモリーさせてもらいました。更にご家族の皆さんも本当に親切にして下さり、お父さんから言われた「たかだか8年で物事極められるか!」の一言は、8年お笑いをやって、何も成果を出せないでいた僕に、凄い勇気とやる気を与えて下さいました。
本当に忙しく、楽しい二日間でしたが、誰も知り合いのいなかった八代にも、また新しい家族ができました。
そして、今日のスケジュールを全て終了し、昨晩、そして今日のお祭りと大変お世話になった写真のご住職と奥さまに、また必ず会いに来ることを約束し、渕田さんと奥さま、それに死ぬほど可愛い一人息子の“れいしょう君”に車で新八代駅まで送って頂き、久々の辛い別れをしました。
そして、僕は時間ギリギリだったためホームに急ぎ電車に飛び乗り次の目的地を目指しました!
「で・で・で・電車で!ここまで来て、遂にズルか?」
と、思われた方安心を何処に何しに向かうかは、明日の日記で!

仕方なしに得意の愛想笑いで誤魔化しましたが、びっくりするくらい何を言っているのか理解出来ませんでした。
そして、市場でお父さんに朝御飯をご馳走になり、次は昼からジャスコでミニライブをやることになっていたので、それまでお寺に戻り一休みして、お昼過ぎジャスコに行き二時と四時からの二回ミニライブをやらせてもらいました。
その後、昨日の日記に書き忘れていましたが、敏腕マネージャーが更に敏腕ぶりを発揮していて、FMラジオ・ジャスコ以外に、もう一つ僕が昨晩泊めて頂いたお寺が、今日ちょうどお祭りの日だったので、そこでもネタができるように話して下さっていて、お祭りでもネタをやらせてもらいました。
とにかく、忙しい一日で、あっちに行きこっちに行きと八代中を動き回りましたが、常に割烹着を着た敏腕マネージャーが、側にいて下さり、行く先々で申し訳ないくらい気を使って下さったので、本当に助かりました。
あまりの忙しさで、渕田さんとは長い時間一緒にいたのに、あまりお話しができなかったのが本当に残念でしたが、八代で既に立派なお店をやられているのに、まだまだ立ち止まることをせずに、前に進もうとしている姿を見て「渕田さんは、実際に歩いてはいないけど旅人だなぁ?!」と思い、勝手にですが凄い親近感を覚え“また必ず会いたい人リスト”にメモリーさせてもらいました。更にご家族の皆さんも本当に親切にして下さり、お父さんから言われた「たかだか8年で物事極められるか!」の一言は、8年お笑いをやって、何も成果を出せないでいた僕に、凄い勇気とやる気を与えて下さいました。
本当に忙しく、楽しい二日間でしたが、誰も知り合いのいなかった八代にも、また新しい家族ができました。
そして、今日のスケジュールを全て終了し、昨晩、そして今日のお祭りと大変お世話になった写真のご住職と奥さまに、また必ず会いに来ることを約束し、渕田さんと奥さま、それに死ぬほど可愛い一人息子の“れいしょう君”に車で新八代駅まで送って頂き、久々の辛い別れをしました。
そして、僕は時間ギリギリだったためホームに急ぎ電車に飛び乗り次の目的地を目指しました!
「で・で・で・電車で!ここまで来て、遂にズルか?」
と、思われた方安心を何処に何しに向かうかは、明日の日記で!

2005/07/23(土) 21:30:00| 田代32画像旅日記|
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昨日、八代に夕方到着し、そして今日もまだ八代を出発せずに滞在しています。
何故かと言うと、僕が出させてもらった熊本のRKK“夕方いちばん”のディレクター梶原さんに紹介して頂いた、渕田さんにお会いするために滞在していて、午前中に昨夜野宿した公園にとっても綺麗な渕田さんの奥様が、わざわざ迎えに来て下さり、昼前に渕田さん本人とお会いする事が出来ました。
最初、料理人の方だと聞いていたので“恐そうな人だったらどうしよう”とドキドキしていたのですが会ってみたら、そんな心配は全く必要のない、人の警戒心を瞬時に無くすことのできる天才的な笑顔の持ち主で、勿論僕もあっという間に警戒心が無くなり、安心して話すことができました。
でも、この渕田さん本当は凄い方で、あの帝国ホテルの“灘万”と香港の“灘万”で修行され、その後、単身アメリカに渡り、現在八代に“寿司・日本料理 葵”と言うお店の取締役をされていて、本当は僕のような売れない若手芸人がお会いする事の出来ない人でした。
そんな凄い渕田さんが何と!何と!何と!
僕のために色々な所に僕の話しをして下さっていて、僕の八代滞在中のマネージメントをして下さっていて、その敏腕ぶりに本当びっくりしました。
まず案内されたのが、渕田さんの“葵”もお店を出している、ジャスコ八代店で、何と!明日、ここの立派なステージで二回もネタをやらせてもらえる事になっていて、担当の方に早速御挨拶しに行きました。そして、挨拶をすますと次は“地元のFMラジオに出演する”とのことで、FM八代に向かい、これまたびっくりの生放送に出演させてもらいました。
その後、渕田さんのお店“葵 本店”にお邪魔し晩御飯をご馳走になりましたが、何と!何と!な?んと!まわってない!
お寿司??????!
でした。
それ以外にも、僕の大好物の“鳥の唐揚げ”や“イカのお刺身”など、この旅一番のご馳走をお腹一杯になるまで頂き、渕田さんのご家族と近くのお寺のご住職と沢山お話しをし、とっても楽しい時間を過すことができました。
そして、今晩はご住職のお寺に泊めて頂くことになり、TV・クーラー・お布団のある、僕にとってホテルオークラのスイートルームと同じようなお部屋を用意して頂きました。
とにかく、昨日八代に着いた時には、時間をもて遊び退屈で、夜はコンビニのお菓子を食べ蚊と戦いながら野宿していたのが、渕田さんと出会った瞬間からそれが急変する、まさに旅の醍醐味を味わえる最高の一日でした。

何故かと言うと、僕が出させてもらった熊本のRKK“夕方いちばん”のディレクター梶原さんに紹介して頂いた、渕田さんにお会いするために滞在していて、午前中に昨夜野宿した公園にとっても綺麗な渕田さんの奥様が、わざわざ迎えに来て下さり、昼前に渕田さん本人とお会いする事が出来ました。
最初、料理人の方だと聞いていたので“恐そうな人だったらどうしよう”とドキドキしていたのですが会ってみたら、そんな心配は全く必要のない、人の警戒心を瞬時に無くすことのできる天才的な笑顔の持ち主で、勿論僕もあっという間に警戒心が無くなり、安心して話すことができました。
でも、この渕田さん本当は凄い方で、あの帝国ホテルの“灘万”と香港の“灘万”で修行され、その後、単身アメリカに渡り、現在八代に“寿司・日本料理 葵”と言うお店の取締役をされていて、本当は僕のような売れない若手芸人がお会いする事の出来ない人でした。
そんな凄い渕田さんが何と!何と!何と!
僕のために色々な所に僕の話しをして下さっていて、僕の八代滞在中のマネージメントをして下さっていて、その敏腕ぶりに本当びっくりしました。
まず案内されたのが、渕田さんの“葵”もお店を出している、ジャスコ八代店で、何と!明日、ここの立派なステージで二回もネタをやらせてもらえる事になっていて、担当の方に早速御挨拶しに行きました。そして、挨拶をすますと次は“地元のFMラジオに出演する”とのことで、FM八代に向かい、これまたびっくりの生放送に出演させてもらいました。
その後、渕田さんのお店“葵 本店”にお邪魔し晩御飯をご馳走になりましたが、何と!何と!な?んと!まわってない!
お寿司??????!
でした。
それ以外にも、僕の大好物の“鳥の唐揚げ”や“イカのお刺身”など、この旅一番のご馳走をお腹一杯になるまで頂き、渕田さんのご家族と近くのお寺のご住職と沢山お話しをし、とっても楽しい時間を過すことができました。
そして、今晩はご住職のお寺に泊めて頂くことになり、TV・クーラー・お布団のある、僕にとってホテルオークラのスイートルームと同じようなお部屋を用意して頂きました。
とにかく、昨日八代に着いた時には、時間をもて遊び退屈で、夜はコンビニのお菓子を食べ蚊と戦いながら野宿していたのが、渕田さんと出会った瞬間からそれが急変する、まさに旅の醍醐味を味わえる最高の一日でした。

2005/07/22(金) 22:00:00| 田代32画像旅日記|
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今日も昨日に続き、とっても退屈な景色が続く中をひたすら歩いていました。
途中「“みのさん”さんに脳内電話を、またしてみようかな?」とも、考えましたが特に相談することもなかったので、一人黙々と歩いていました。
すると、今日は本当に嬉しいことに沢山の方々に声を掛て頂き、ジュースや食べ物の差し入れに、途中後ろから自転車に乗って来られた、お母さんに至っては、突然旅資金を千円協力して下さり、本物にびっくりしました。そして、これら声を掛て下さったほとんどの方が「TV観たよ!頑張って!」と、一昨日出させてもらった、RKKの“夕方一番”という番組をみて、僕を知ってくださった方が本当に多かったことに、驚かされ、改めてTVの凄さを知りました。
そして“TVを観た”と声を掛て下さる方が多かったので、お笑いを始めて7年にして、東京では有り得なかった、初めての芸能人気分を歩く事で味わうこともできました。中にはサインを求められたり、“諦めず最後まで頑張って!”と24時間TVのランナーに送るFAXのようなメッセージカードを下さる方がいて、とっても嬉しかったです。
そして、夕方今日の目的地八代に到着し、とっても綺麗な公園を見付けたので、今日はここで野宿することにしました。
今日は本当に芸能人気分を味わえる、とっても嬉しい一日でしたが、TVで“ネタをやりながら旅をしている”と紹介されたのに、誰からも“ネタを見せて”と言われなかったのが少し不安になりましたが、大丈夫なんでしょうか、芸人として?
途中「“みのさん”さんに脳内電話を、またしてみようかな?」とも、考えましたが特に相談することもなかったので、一人黙々と歩いていました。
すると、今日は本当に嬉しいことに沢山の方々に声を掛て頂き、ジュースや食べ物の差し入れに、途中後ろから自転車に乗って来られた、お母さんに至っては、突然旅資金を千円協力して下さり、本物にびっくりしました。そして、これら声を掛て下さったほとんどの方が「TV観たよ!頑張って!」と、一昨日出させてもらった、RKKの“夕方一番”という番組をみて、僕を知ってくださった方が本当に多かったことに、驚かされ、改めてTVの凄さを知りました。
そして“TVを観た”と声を掛て下さる方が多かったので、お笑いを始めて7年にして、東京では有り得なかった、初めての芸能人気分を歩く事で味わうこともできました。中にはサインを求められたり、“諦めず最後まで頑張って!”と24時間TVのランナーに送るFAXのようなメッセージカードを下さる方がいて、とっても嬉しかったです。
そして、夕方今日の目的地八代に到着し、とっても綺麗な公園を見付けたので、今日はここで野宿することにしました。
今日は本当に芸能人気分を味わえる、とっても嬉しい一日でしたが、TVで“ネタをやりながら旅をしている”と紹介されたのに、誰からも“ネタを見せて”と言われなかったのが少し不安になりましたが、大丈夫なんでしょうか、芸人として?
2005/07/21(木) 17:00:00| 田代32画像旅日記|
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昨夜、この旅の目的の一つであった“歩いて馬刺しを食べに行く”を無事達成し、残るはゴールである鹿児島県の佐多岬を目指して歩くだけとなり、いざゴールを目指し、朝8時熊本城を出発し今日の目的地八代に向けて歩き始めました。
しかし、今日の熊本は!というか、熊本に入ってからとにかく暑い日が連日続いていて、そして今日もまた朝からもの凄い厚さで、歩くのがとっても辛く感じました。
でも、歩き出しはいつも体が重く大変で、一汗かけば体が目覚めてきてスイスイ歩けるようになるので、何も気にせず歩いていたのですが、どうも今日は様子がおかしく、いくら汗をかいても全然体が楽にならず、むしろどんどん重くなるばかりで、休憩ばかりしてなかなか進めませんでした。
考えて見れば熊本市内に三日間いたので、“歩き旅”の疲れは抜けているはずだし、暑いとはいえ、今までも暑い中歩いて来ているし、暑さにもだいぶ馴れてきているので、今さらそれが理由で、こんなに歩けなくなる筈もなく、歩いていて何かが以前と違う感じがしていました。
そこで、この旅では恒例の“自問自答”でその答えを探してみることにし、質問者のキャラは“みのもんたさん”でやってみました。
まず、暑いから歩けないの?
いや!以前ならこのくらいの暑さでも全然平気で歩いてました!
じゃ?、気持ちの面では何か変わってない?
ん??以前にくらべると、気持ちに緊張感がなくなってますね!
田代君!一旦CM入れる?
いいです!
そう!
じゃー、何で緊張感がなくなったの?
ん??目標がなくなってしまったからですかね?!
何を目標に歩いてたの?
それは、勿論!熊本で馬刺しを食べるのを目標にず?と歩いて来ました!
はい!それ!
ここでCM入れようか?
いいですって!
でも、そういうの無いと全然“おもいっきりTV”ぽく、ならないけど、いいの?
いりませんから!
まぁ?、歩けなくなった理由はそれじゃないの?
馬刺しを食べて目標を達成したことで、ゴールした気になったんじゃないの?
何少しやる気なくしてんですか!どんだけCM入れたがってんだ!
でも!確に言われてみれば!
ゴールはあくまで佐多岬だよね!
はい!
一つ目的を達成したくらいで、満足してたらダメじゃん!
はい!
佐多岬だって“人生”で言ったらゴールじゃないよ!
東京に帰っても、心は常に旅人のつもりで、前を向いて歩き続けなきゃ!
わかった!
そうか!なるほど!
CM入れていい?
どうぞ勝手に!
よっしゃ?!
受話器そのままにしといて、一旦CMいれ・・・
プゥー!プゥー!プゥー!
と、いうことで、今回は本物と少しキャラの違う弱気な“みのさん”のお陰で歩けなくなった原因を見付けることができました。
僕はついつい、一つの目標を達成すると、そこで満足してしまい立ち止まってしまいますが、それはあくまで通過点でしかなく、ゴールはもっと先にある事を“みのさん”が教えてくれました。
と、こんな事を頭の中で一人ででもしてないと、とっても退屈で歩けないくらい、同じ景色の続く道で、本物に退屈な今日の道のりでした。
でも、そんな暇潰しでとってもいいことを再確認できました。

しかし、今日の熊本は!というか、熊本に入ってからとにかく暑い日が連日続いていて、そして今日もまた朝からもの凄い厚さで、歩くのがとっても辛く感じました。
でも、歩き出しはいつも体が重く大変で、一汗かけば体が目覚めてきてスイスイ歩けるようになるので、何も気にせず歩いていたのですが、どうも今日は様子がおかしく、いくら汗をかいても全然体が楽にならず、むしろどんどん重くなるばかりで、休憩ばかりしてなかなか進めませんでした。
考えて見れば熊本市内に三日間いたので、“歩き旅”の疲れは抜けているはずだし、暑いとはいえ、今までも暑い中歩いて来ているし、暑さにもだいぶ馴れてきているので、今さらそれが理由で、こんなに歩けなくなる筈もなく、歩いていて何かが以前と違う感じがしていました。
そこで、この旅では恒例の“自問自答”でその答えを探してみることにし、質問者のキャラは“みのもんたさん”でやってみました。
まず、暑いから歩けないの?
いや!以前ならこのくらいの暑さでも全然平気で歩いてました!
じゃ?、気持ちの面では何か変わってない?
ん??以前にくらべると、気持ちに緊張感がなくなってますね!
田代君!一旦CM入れる?
いいです!
そう!
じゃー、何で緊張感がなくなったの?
ん??目標がなくなってしまったからですかね?!
何を目標に歩いてたの?
それは、勿論!熊本で馬刺しを食べるのを目標にず?と歩いて来ました!
はい!それ!
ここでCM入れようか?
いいですって!
でも、そういうの無いと全然“おもいっきりTV”ぽく、ならないけど、いいの?
いりませんから!
まぁ?、歩けなくなった理由はそれじゃないの?
馬刺しを食べて目標を達成したことで、ゴールした気になったんじゃないの?
何少しやる気なくしてんですか!どんだけCM入れたがってんだ!
でも!確に言われてみれば!
ゴールはあくまで佐多岬だよね!
はい!
一つ目的を達成したくらいで、満足してたらダメじゃん!
はい!
佐多岬だって“人生”で言ったらゴールじゃないよ!
東京に帰っても、心は常に旅人のつもりで、前を向いて歩き続けなきゃ!
わかった!
そうか!なるほど!
CM入れていい?
どうぞ勝手に!
よっしゃ?!
受話器そのままにしといて、一旦CMいれ・・・
プゥー!プゥー!プゥー!
と、いうことで、今回は本物と少しキャラの違う弱気な“みのさん”のお陰で歩けなくなった原因を見付けることができました。
僕はついつい、一つの目標を達成すると、そこで満足してしまい立ち止まってしまいますが、それはあくまで通過点でしかなく、ゴールはもっと先にある事を“みのさん”が教えてくれました。
と、こんな事を頭の中で一人ででもしてないと、とっても退屈で歩けないくらい、同じ景色の続く道で、本物に退屈な今日の道のりでした。
でも、そんな暇潰しでとってもいいことを再確認できました。

2005/07/20(水) 19:00:00| 田代32画像旅日記|
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とにかく、今日はとんでもなく忙しい一日でした!
まず、昨日のライブ終了後、龍馬さんから「事務所に泊まっていいですよ。」と言う、と?ても嬉しい言葉を頂き、早速、事務所に案内してもらい、メルヘン内藤さんと龍馬さんの相方さんの森さんと、朝までお笑い談義で盛り上がりました。
そして、昼から大先輩の“コント山口君と竹田君”の山口さんの口添えで、何と!何と!RKKの夕方からの情報番組“夕方一番”という番組の中継コーナーに出させて頂き、ネタをやらせてもらいました。
すると、ここでも偶然があり、まずディレクターの梶原さんが、うちの事務所の仲間で熊本から鳴り物入りで東京に進出し、今やバイトのシフトで大ブレーク中の“パッチワーク”の事をよく知ってる方で、更に、この中継コーナーをやられている“K&K”という、ユニットコンビの山内さんが、以前東京で“ビュンビュン”というコンビで活動されてた時に、何度か一緒のライブに出たことがある方という、二つの偶然がありました。
そして、中継コーナー終了後、熊本の繁華街“上通り”に移動し“路上ライブ”をすることにしました。
ネタの準備をすると直ぐに、若者二人が止まってくれ、それをキッカケに沢山の方が集まって下さり、多分一回のネタでの旅資金協力の最高額¥6000も頂いてしまい、一回のネタで6人もの方が次から次に千円札を下さったのには本当にビックリしました。
その後、一時間程路上でネタをやり合計¥8029の旅資金の協力をして頂き、今度はK&Kのカメキチさんに紹介して頂いた、“HAPPY FISH”というお店に行き、これまたネタをやらせてもらいました。更に更に、この日のスケジュールは続き、9時からは、熊本に来た初日にお世話になった神社のSさんと、再度合流し、Sさんの顔馴染みのお店に連れていってもらい、そこで
遂に!遂に!遂に!遂に!
この旅の目的の一つである
“馬刺し”“馬刺し”
“馬刺し????!”
をご馳走して頂きました!
ヤッタ?!本当にやりました!
本当に歩いて馬刺しを食べにこれました!
東京出た時は“絶対無理”と自分でも思っていた時もありましたが、毎日少しでも歩いて!歩いて!歩き続けて95日目、沢山の人に助けられて、やっと目的の一つを達成することができました。
残念なのが、あまりの感動と“HAPPYFISH”で頂いたビールの酔いで、馬刺しの正確な味を覚えていないのデスが、でも、一生忘れられない大切な想い出と、
“諦めないで、やればできる!”
という、大きな自信を頂きました。
さぁ?!これで目的の一つを達成したので、後はゴールの佐多岬を目指すだけになりました。もうすぐこの旅も終りになってしまいますが、今日からは一歩一歩噛み締めながら大切に歩いて行こうと思います。
最後に熊本上通りでネタを見て下さった皆さん、更に旅資金を協力して下さった皆さん本当にありがとうございました。
そして、なによりSさん!熊本滞在中大変お世話になり、寝床の心配までして頂き本当にありがとうございました!


まず、昨日のライブ終了後、龍馬さんから「事務所に泊まっていいですよ。」と言う、と?ても嬉しい言葉を頂き、早速、事務所に案内してもらい、メルヘン内藤さんと龍馬さんの相方さんの森さんと、朝までお笑い談義で盛り上がりました。
そして、昼から大先輩の“コント山口君と竹田君”の山口さんの口添えで、何と!何と!RKKの夕方からの情報番組“夕方一番”という番組の中継コーナーに出させて頂き、ネタをやらせてもらいました。
すると、ここでも偶然があり、まずディレクターの梶原さんが、うちの事務所の仲間で熊本から鳴り物入りで東京に進出し、今やバイトのシフトで大ブレーク中の“パッチワーク”の事をよく知ってる方で、更に、この中継コーナーをやられている“K&K”という、ユニットコンビの山内さんが、以前東京で“ビュンビュン”というコンビで活動されてた時に、何度か一緒のライブに出たことがある方という、二つの偶然がありました。
そして、中継コーナー終了後、熊本の繁華街“上通り”に移動し“路上ライブ”をすることにしました。
ネタの準備をすると直ぐに、若者二人が止まってくれ、それをキッカケに沢山の方が集まって下さり、多分一回のネタでの旅資金協力の最高額¥6000も頂いてしまい、一回のネタで6人もの方が次から次に千円札を下さったのには本当にビックリしました。
その後、一時間程路上でネタをやり合計¥8029の旅資金の協力をして頂き、今度はK&Kのカメキチさんに紹介して頂いた、“HAPPY FISH”というお店に行き、これまたネタをやらせてもらいました。更に更に、この日のスケジュールは続き、9時からは、熊本に来た初日にお世話になった神社のSさんと、再度合流し、Sさんの顔馴染みのお店に連れていってもらい、そこで
遂に!遂に!遂に!遂に!
この旅の目的の一つである
“馬刺し”“馬刺し”
“馬刺し????!”
をご馳走して頂きました!
ヤッタ?!本当にやりました!
本当に歩いて馬刺しを食べにこれました!
東京出た時は“絶対無理”と自分でも思っていた時もありましたが、毎日少しでも歩いて!歩いて!歩き続けて95日目、沢山の人に助けられて、やっと目的の一つを達成することができました。
残念なのが、あまりの感動と“HAPPYFISH”で頂いたビールの酔いで、馬刺しの正確な味を覚えていないのデスが、でも、一生忘れられない大切な想い出と、
“諦めないで、やればできる!”
という、大きな自信を頂きました。
さぁ?!これで目的の一つを達成したので、後はゴールの佐多岬を目指すだけになりました。もうすぐこの旅も終りになってしまいますが、今日からは一歩一歩噛み締めながら大切に歩いて行こうと思います。
最後に熊本上通りでネタを見て下さった皆さん、更に旅資金を協力して下さった皆さん本当にありがとうございました。
そして、なによりSさん!熊本滞在中大変お世話になり、寝床の心配までして頂き本当にありがとうございました!


2005/07/19(火) 23:50:00| 田代32画像旅日記|
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今日はここ熊本で本当に久々のお笑いライブ
“ビキニはじめました”
に出演してきました。何故?熊本でお笑いライブに出演することができたのか?というと、以前岡山で知り合った“楽歩隊”の二人、哲也さんと哲生さんに「熊本に行ったら連絡してごらん、ライブやるらしいから。」と、熊本のお笑い芸人“星野龍馬”さんというコンビの龍馬さんの連絡先を聞いていたので「ライブを見学させてもらえれば!」と思い連絡してみると、何と!「ゲストで出て下さいよ。」と、言って頂き“飛び入りゲスト”で急遽、ネタをやらせてもらえることになりました。
そして、急いでライブ会場に向かい龍馬さんとお会いし、会場に案内してもらいましたが、正直言って会場を見てビックリしました。僕が東京でライブに出させてもらっていた会場が、設備の整っていた贅沢な会場で、お笑いをするのには充分な環境であったかを、思いしらされる、凄い会場でした。
まず、会場自体は元旅館の宴会場で60人くらい入る広さがあるのですが、何と!
何と!この暑さなのに、ここの会場にはクーラーが付いてないんです!なので、窓を全開にし熊本中の扇風機を集めたんじゃないかと思うくらいの数の何台もの扇風機を用意し、それだけではただ熱風が来るだけなので、冷風機を三台並べ、更に大きな氷りをいくつも通路に起き、その上で入り口で一人一人にウチワを渡す、という暑さ対策だけでも大変な会場ですが、逆に手作り感が一杯で味のある会場でもありました。
そして、夜の8時お客さんもびっちり埋まり、ライブがスタートしました!
がっ!
このびっちり埋まったお客さんによって、スタートして直ぐに、皆さんが用意した暑さ対策の全ての物が役に立たないくらいの暑さになり、とてもとても笑える空気ではなくなってしまいました。
にも関わらず、笑いが起きないために更に芸人さん達が熱演したため、どんどん会場は暑くなり、更に笑いの数が減ってしまい「このまま行ったら僕の順番の時にはお客さん、皆帰っちゃってんじゃないかな?!」と、凄い不安でした。しかし、時間が経つに連れ段々夜風も涼しくなり、皆さんの暑さ対策も威力を発揮し始め、それと共に笑いの数もどんどん増え始めました。
それでも、まだまだ蒸し風呂の様な会場でしたが、最後までほとんどのお客さんが帰らずに見て下さりました。そして、“報道ステーション”が始まるくらいの時間にやっと僕の順番になり、ネタをやりましたが、路上と違い雑音は無いし、途中でネタに入ってくる人はいないし、皆の目が僕に集中して下さってるし、と久々にライブでネタをやれることが、本当に嬉しく楽しかったです。
とにかく、東京にいた時は全てを当たり前のように思っていましたが、旅をしてみて、やっと「一つ一つが本当に有り難いことなんだ」と思えるようになり、お笑いにとって必要なものは、“面白いネタとクーラーなんだ!”と言うことも教えて頂きました。

“ビキニはじめました”
に出演してきました。何故?熊本でお笑いライブに出演することができたのか?というと、以前岡山で知り合った“楽歩隊”の二人、哲也さんと哲生さんに「熊本に行ったら連絡してごらん、ライブやるらしいから。」と、熊本のお笑い芸人“星野龍馬”さんというコンビの龍馬さんの連絡先を聞いていたので「ライブを見学させてもらえれば!」と思い連絡してみると、何と!「ゲストで出て下さいよ。」と、言って頂き“飛び入りゲスト”で急遽、ネタをやらせてもらえることになりました。
そして、急いでライブ会場に向かい龍馬さんとお会いし、会場に案内してもらいましたが、正直言って会場を見てビックリしました。僕が東京でライブに出させてもらっていた会場が、設備の整っていた贅沢な会場で、お笑いをするのには充分な環境であったかを、思いしらされる、凄い会場でした。
まず、会場自体は元旅館の宴会場で60人くらい入る広さがあるのですが、何と!
何と!この暑さなのに、ここの会場にはクーラーが付いてないんです!なので、窓を全開にし熊本中の扇風機を集めたんじゃないかと思うくらいの数の何台もの扇風機を用意し、それだけではただ熱風が来るだけなので、冷風機を三台並べ、更に大きな氷りをいくつも通路に起き、その上で入り口で一人一人にウチワを渡す、という暑さ対策だけでも大変な会場ですが、逆に手作り感が一杯で味のある会場でもありました。
そして、夜の8時お客さんもびっちり埋まり、ライブがスタートしました!
がっ!
このびっちり埋まったお客さんによって、スタートして直ぐに、皆さんが用意した暑さ対策の全ての物が役に立たないくらいの暑さになり、とてもとても笑える空気ではなくなってしまいました。
にも関わらず、笑いが起きないために更に芸人さん達が熱演したため、どんどん会場は暑くなり、更に笑いの数が減ってしまい「このまま行ったら僕の順番の時にはお客さん、皆帰っちゃってんじゃないかな?!」と、凄い不安でした。しかし、時間が経つに連れ段々夜風も涼しくなり、皆さんの暑さ対策も威力を発揮し始め、それと共に笑いの数もどんどん増え始めました。
それでも、まだまだ蒸し風呂の様な会場でしたが、最後までほとんどのお客さんが帰らずに見て下さりました。そして、“報道ステーション”が始まるくらいの時間にやっと僕の順番になり、ネタをやりましたが、路上と違い雑音は無いし、途中でネタに入ってくる人はいないし、皆の目が僕に集中して下さってるし、と久々にライブでネタをやれることが、本当に嬉しく楽しかったです。
とにかく、東京にいた時は全てを当たり前のように思っていましたが、旅をしてみて、やっと「一つ一つが本当に有り難いことなんだ」と思えるようになり、お笑いにとって必要なものは、“面白いネタとクーラーなんだ!”と言うことも教えて頂きました。

2005/07/18(月) 23:00:00| 田代32画像旅日記|
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この僕の日記に一番多く使われている単語は、多分“偶然”という単語ではないでしょうか?それだけ、この旅では“偶然”な出来事が連続していて、今や僕の趣味と言ってもいいくらいになってきています。
そして、今日もまた 僕の趣味である“偶然”な出来事が起こり、素敵な出会いがありました。
それは、下関の人道入り口でこれも偶然知り合った、観光ボランティアで紙芝居をされている轟さんから「熊本城に行ったら、その側にある神社に行って、背の高い男に話し掛けてご覧、何かいいことがあるかもよ!」と、RPGの町の人が言ってきそうなことを言われていたので、スンゲェ?カッコよい熊本城を見学したのちに、早速神社を訪ねてみることにしました。
そして、名前も顔も知らず“背が高い”という情報だけで、果してその方にお会いできるのか?と、ダメ元で神社に行き「下関の紙芝居屋さんに聞いて、こちらにいらっしゃる背の高い方を訪ねて来たんですけど。」と、言ってる自分が「何だこの訪ね方わ!そんなんで解るかい!」と、こちらもRPGの主人公のような訪ね方を、たまたま居た巫さんにしてみました。すると、何と!その巫さんが「あ?Sさんですね!直ぐに呼んできます。」と、通じたことに驚く僕をよそに建物の中に入っていきました。
そして、暫くすると中から「お待たせしました田代さん」と、初対面の筈なのにいきなり僕の名前を知っている、これまたRPGのキャラのようなSさんが出てきました。Sさんは確に背が高く、RPGのキャラで言ったら、ボスキャラばりの体格をされていましたが、ボスキャラとは全く違う凄い笑顔が素敵な方で、話しを聞くと、どうやら紙芝居屋さんの轟さんが、わざわざSさんに連絡を入れてくれ、Sさんもその連絡を受けて「何時来るか?」と僕を待って下さっていたそうです。
ほんの少ししか、お話しをしていない轟さんと、一度もお会いしたことのないSさんが、僕の知らない所で連絡を取り合い、お世話してくださる事に感激し、お二人の人としての器のでかさを感じました。
更に、偶然は続き今日の夜はSさんが丁度宿直の日で神社にお泊まりされるらしく、何と!僕もナイショで泊めて頂けることになりました。
そして、夜 何とこの間食べて、「暫く離れ離れで次に会えるのは何時の事か」と思って諦めていた、鰻を晩御飯にご馳走してもらいながら、Sさんと色々お話しをしました。
すると、更に更に偶然の出来事があり、Sさんは以前イベント関係の仕事をされていた時に、熊本から鳴り物入りで出て来て、今や居酒屋のアルバイトで大忙しの、我が事務所の仲間“バッチワーク”と仕事をされていた、と言う偶然もあり、本当にビックリしました。
そして、夜中まで“パッチワークは何で東京に出て来てしまったんだろうか?熊本であんなに仕事してたのに?”と話しあい、最後はそんなのどうでもよくなり、フカフカの布団に入り“タシロン クエスト”の今日の旅をセーブし眠ることにしました。


そして、今日もまた 僕の趣味である“偶然”な出来事が起こり、素敵な出会いがありました。
それは、下関の人道入り口でこれも偶然知り合った、観光ボランティアで紙芝居をされている轟さんから「熊本城に行ったら、その側にある神社に行って、背の高い男に話し掛けてご覧、何かいいことがあるかもよ!」と、RPGの町の人が言ってきそうなことを言われていたので、スンゲェ?カッコよい熊本城を見学したのちに、早速神社を訪ねてみることにしました。
そして、名前も顔も知らず“背が高い”という情報だけで、果してその方にお会いできるのか?と、ダメ元で神社に行き「下関の紙芝居屋さんに聞いて、こちらにいらっしゃる背の高い方を訪ねて来たんですけど。」と、言ってる自分が「何だこの訪ね方わ!そんなんで解るかい!」と、こちらもRPGの主人公のような訪ね方を、たまたま居た巫さんにしてみました。すると、何と!その巫さんが「あ?Sさんですね!直ぐに呼んできます。」と、通じたことに驚く僕をよそに建物の中に入っていきました。
そして、暫くすると中から「お待たせしました田代さん」と、初対面の筈なのにいきなり僕の名前を知っている、これまたRPGのキャラのようなSさんが出てきました。Sさんは確に背が高く、RPGのキャラで言ったら、ボスキャラばりの体格をされていましたが、ボスキャラとは全く違う凄い笑顔が素敵な方で、話しを聞くと、どうやら紙芝居屋さんの轟さんが、わざわざSさんに連絡を入れてくれ、Sさんもその連絡を受けて「何時来るか?」と僕を待って下さっていたそうです。
ほんの少ししか、お話しをしていない轟さんと、一度もお会いしたことのないSさんが、僕の知らない所で連絡を取り合い、お世話してくださる事に感激し、お二人の人としての器のでかさを感じました。
更に、偶然は続き今日の夜はSさんが丁度宿直の日で神社にお泊まりされるらしく、何と!僕もナイショで泊めて頂けることになりました。
そして、夜 何とこの間食べて、「暫く離れ離れで次に会えるのは何時の事か」と思って諦めていた、鰻を晩御飯にご馳走してもらいながら、Sさんと色々お話しをしました。
すると、更に更に偶然の出来事があり、Sさんは以前イベント関係の仕事をされていた時に、熊本から鳴り物入りで出て来て、今や居酒屋のアルバイトで大忙しの、我が事務所の仲間“バッチワーク”と仕事をされていた、と言う偶然もあり、本当にビックリしました。
そして、夜中まで“パッチワークは何で東京に出て来てしまったんだろうか?熊本であんなに仕事してたのに?”と話しあい、最後はそんなのどうでもよくなり、フカフカの布団に入り“タシロン クエスト”の今日の旅をセーブし眠ることにしました。


2005/07/17(日) 23:59:43| 田代32画像旅日記|
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今日は午前10時に菊水町の“道の駅”を出発し、昨日お世話になった村上さんのお母さんに挨拶をして、一路熊本市内に向け歩き始めました。菊水の町を出ると、民家がほとんど無くなり、たま?に神社と“何故?こんな所に店をかまえたのか?”聞いてみたくなるスナックが突然有るだけで、後はひたすら山と畑ばかりになってしまい、勿論街灯も無いので、もし昨日村上さんのお母さんに声を掛けられなかったら
「こんな道で夜になっていたのか。」と思うと
「本当に声を掛けてもらってよかった?!」
と、暗闇が苦手な僕は改めて本当に感謝し、
「これもきっと“ジャバ”の仕業かな?」
と“ジャバ”の仕事ぶりにも感謝しました。
そして、ひたすら熊本市内を目指して、歩いても歩いても全く代わり映えのしない景色の中を黙々と進んでいると、今日も辛くなった時に僕に元気をくれる素敵な応援団にお会いすることができました。
最初の応援団員の方は、ほんの一瞬の触れ合いでしたが、僕が疲れて道路脇の木陰で休んでいると、偶然信号で止まった車の中から「おい!これでジュースでも飲みな!」と50代くらいのお父さんが、いきなり僕の方に500円玉を投げてくれ、「ありがとうございます」と言をうとした「ありが・・・」くらいの時に信号が変わってしまい、あっというまに立ち去ってしまいました。
考えてみれば、僕は色々な所でネタをやり見て頂いた方から“投げ銭”をしてもらい旅を続けていますが、本当にお金を投げて渡されたのは初めてだったので、ビックリ!しましたが、とっても嬉しかったです。
そして、次の応援団員の方は、車で走っているときに僕を見掛け、わざわざUターンして戻ってきて「よかったら乗ってく?」と声を掛けて下さった、写真のご家族でした。お父さんは“霊が抜かれる”お母さんは“カメラが壊れる”という、斬新な理由で写真には写っていませんが、お二人とも本当に優しそうで素敵な笑顔をされているご夫婦でした。
なにより、二人のお子さんが可愛いくて、東京から歩いて来た事など全く理解してないのに“がんばれ?!”と言ってくれるのが、死ぬほど可愛いかったです。
それ以外にも、車から“頑張って”と言って下さる方が何人もいて、皆さん一人一人の声が本当に嬉しく、歩く元気になりました。
そして、夜中の十二時に無事、沢山の応援団の皆さんのお陰で熊本市内に入ることができました。
本当に今日は沢山の声援を頂き、ありがとうございました。


「こんな道で夜になっていたのか。」と思うと
「本当に声を掛けてもらってよかった?!」
と、暗闇が苦手な僕は改めて本当に感謝し、
「これもきっと“ジャバ”の仕業かな?」
と“ジャバ”の仕事ぶりにも感謝しました。
そして、ひたすら熊本市内を目指して、歩いても歩いても全く代わり映えのしない景色の中を黙々と進んでいると、今日も辛くなった時に僕に元気をくれる素敵な応援団にお会いすることができました。
最初の応援団員の方は、ほんの一瞬の触れ合いでしたが、僕が疲れて道路脇の木陰で休んでいると、偶然信号で止まった車の中から「おい!これでジュースでも飲みな!」と50代くらいのお父さんが、いきなり僕の方に500円玉を投げてくれ、「ありがとうございます」と言をうとした「ありが・・・」くらいの時に信号が変わってしまい、あっというまに立ち去ってしまいました。
考えてみれば、僕は色々な所でネタをやり見て頂いた方から“投げ銭”をしてもらい旅を続けていますが、本当にお金を投げて渡されたのは初めてだったので、ビックリ!しましたが、とっても嬉しかったです。
そして、次の応援団員の方は、車で走っているときに僕を見掛け、わざわざUターンして戻ってきて「よかったら乗ってく?」と声を掛けて下さった、写真のご家族でした。お父さんは“霊が抜かれる”お母さんは“カメラが壊れる”という、斬新な理由で写真には写っていませんが、お二人とも本当に優しそうで素敵な笑顔をされているご夫婦でした。
なにより、二人のお子さんが可愛いくて、東京から歩いて来た事など全く理解してないのに“がんばれ?!”と言ってくれるのが、死ぬほど可愛いかったです。
それ以外にも、車から“頑張って”と言って下さる方が何人もいて、皆さん一人一人の声が本当に嬉しく、歩く元気になりました。
そして、夜中の十二時に無事、沢山の応援団の皆さんのお陰で熊本市内に入ることができました。
本当に今日は沢山の声援を頂き、ありがとうございました。


2005/07/16(土) 23:59:00| 田代32画像旅日記|
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今朝は、岡部先生のお家で朝御飯を御馳走になり8時に次なる目的地植木町を目指し出発しました。
どうやら、九州地方は今まで僕の寝床を奪ってきた梅雨が完全に明けたようで、本格的な夏が訪れたのか、とにかく暑くて死にそうな一日でした。
しかし、そんな中頑張って歩いていたら、途中で50代くらいのお父さんに話し掛けてもらい、とっても嬉しい植木までの近道を教えてもらいました。しかもその道を通ると峠を越えなくて済む、旅人にとってなんとも最高の近道でした。
そして、暑さの一番厳しくなった午後1:30 分、14個目の新しい県であり、この旅の本来の目的である“歩いて馬刺しを食べに行く”の馬刺しが名物の熊本県に、遂に!遂に!本当に遂に!突入しました?!
今までの旅の経験で、大体の県境が川や峠だったので“そろそろか?”と心の準備ができたのですが、今回は国道を歩かず近道を歩いていたため、何もない平な道で突然!県境の看板が現れたために、“えっ!今なの?”と、まずは熊本を目指して、ず?と歩いてきた筈なのに、突入した瞬間はさほど実感も湧かず、「遂に来たか?!」とも思わず、写真だけ撮ってアッサリ先に進んでしまいました。
しかし、それから暫く歩き続け夕方菊水町という町に着いた時に、工具屋さんのお母さん村上さんに“旅してるの?家で氷でも食べて休んでいきなさい。”と声を掛けて頂き、お言葉に甘え休憩させて頂くことにし、氷を食べながらお母さんとお話しをしてある時に、このお母さんのバリバリの熊本弁を聞いた時に初めて「遂に本当の本当に熊本まで歩いて来たんだ?!」と実感が湧き、さらに、このお母さんがバリバリの熊本弁で、会話の途中に僕がいくつも意味の解らない単語があって、聞き直していたにも関わらず「私とそんなに言葉は変わらないね?」というビックリ発言に「このマイペースぶりは、途中で会った旅人が言っていた通りの間違いない熊本の人だ!」と熊本に来たとことを再度実感させて頂きました。
その後、晩御飯までお母さんに御馳走になってしまい「この面倒見の良さは、間違いなく熊本だ?!」と、三度熊本に来たことを実感させて頂きました。
そして、村上さんのお母さんと2時間程お話しをしてしまったため夜になってしまい、歩けなくなってしまいましたが、偶然この町には“道の駅”があり、今日はそこで野宿することにしました。
今日はず?と目指してきた熊本に突入した記念の日でしたが、県境ではそれを全く実感できませんでしたが、偶然の出会いで熊本に来たことを実感させて頂く、素敵な出会いがありました。


どうやら、九州地方は今まで僕の寝床を奪ってきた梅雨が完全に明けたようで、本格的な夏が訪れたのか、とにかく暑くて死にそうな一日でした。
しかし、そんな中頑張って歩いていたら、途中で50代くらいのお父さんに話し掛けてもらい、とっても嬉しい植木までの近道を教えてもらいました。しかもその道を通ると峠を越えなくて済む、旅人にとってなんとも最高の近道でした。
そして、暑さの一番厳しくなった午後1:30 分、14個目の新しい県であり、この旅の本来の目的である“歩いて馬刺しを食べに行く”の馬刺しが名物の熊本県に、遂に!遂に!本当に遂に!突入しました?!
今までの旅の経験で、大体の県境が川や峠だったので“そろそろか?”と心の準備ができたのですが、今回は国道を歩かず近道を歩いていたため、何もない平な道で突然!県境の看板が現れたために、“えっ!今なの?”と、まずは熊本を目指して、ず?と歩いてきた筈なのに、突入した瞬間はさほど実感も湧かず、「遂に来たか?!」とも思わず、写真だけ撮ってアッサリ先に進んでしまいました。
しかし、それから暫く歩き続け夕方菊水町という町に着いた時に、工具屋さんのお母さん村上さんに“旅してるの?家で氷でも食べて休んでいきなさい。”と声を掛けて頂き、お言葉に甘え休憩させて頂くことにし、氷を食べながらお母さんとお話しをしてある時に、このお母さんのバリバリの熊本弁を聞いた時に初めて「遂に本当の本当に熊本まで歩いて来たんだ?!」と実感が湧き、さらに、このお母さんがバリバリの熊本弁で、会話の途中に僕がいくつも意味の解らない単語があって、聞き直していたにも関わらず「私とそんなに言葉は変わらないね?」というビックリ発言に「このマイペースぶりは、途中で会った旅人が言っていた通りの間違いない熊本の人だ!」と熊本に来たとことを再度実感させて頂きました。
その後、晩御飯までお母さんに御馳走になってしまい「この面倒見の良さは、間違いなく熊本だ?!」と、三度熊本に来たことを実感させて頂きました。
そして、村上さんのお母さんと2時間程お話しをしてしまったため夜になってしまい、歩けなくなってしまいましたが、偶然この町には“道の駅”があり、今日はそこで野宿することにしました。
今日はず?と目指してきた熊本に突入した記念の日でしたが、県境ではそれを全く実感できませんでしたが、偶然の出会いで熊本に来たことを実感させて頂く、素敵な出会いがありました。


2005/07/15(金) 20:00:00| 田代32画像旅日記|
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この旅では、本当に沢山の方々と出会ってきましたが、中には僕のような“売れない若手芸人”が絶対会うことが出来ないような偉い方ともアポ無しで偶然お会いし、お話しをお聞きすることができて“本当に有り難く”自分でいうのも何ですが“本当にスゲェ?旅だなぁ?”とびっくりしています。
そして、今日もまた僕のような“売れない若手芸人”が、お会いすることが出来ないとっても偉い方を福岡のAPROの岡部会長に紹介して頂き、お世話になることになりました。
その方は岡部会長のお父さんで、高瀬町で町議会議員をされているこの町では凄い有名な岡部拳先生で、転がり続けた出会いが遂に議員先生のお宅に泊めて頂けることになるまで転がってきました。
そして、この岡部先生が親切&豪快な先生で、途中コインランドリーで洗濯をしていたために、到着が夜の十時を過ぎてしまったにも関わらず、快く家に上げて下さり、何も食べていなかった僕に「何か食べるか?」と、晩御飯をご馳走してくれたのですが、流石議員先生のお宅で「大した物は用意出来ないけど」と、いってでてきた料理が、何と!
う・う・う・う・う・鰻!でした。
あまりの突然のご馳走に“びっくり”し、この旅始めて(というか、ここ何年も食べてない)の鰻を大変美味しく頂きました。
そして、僕は心の中で「今度、岡部先生のお宅に来る時は、何かしらの立派な結果を出して、岡部先生が言うところの“大した料理”の方を頂くぞ!」と、強く思いました。
その後、僕は今まで議員先生なんて、偉い方にお会いした経験がないので、緊張し上手くお話しする事ができませんでしたが、岡部先生から人生で大切な事として「連絡・報告・検討だ!」と言うことを教えて頂き、僕の旅の数々の偶然の出会いも「出会いは呼び合って生まれるもの、だから一期一会を大切に!」と、大変勉強になるお話しを聞かせて頂きました。
そして、今夜もまたフカフカの布団でユックリ寝れる、と?ても素敵で有り難く、幸せな夜を過ごせることになりました。

そして、今日もまた僕のような“売れない若手芸人”が、お会いすることが出来ないとっても偉い方を福岡のAPROの岡部会長に紹介して頂き、お世話になることになりました。
その方は岡部会長のお父さんで、高瀬町で町議会議員をされているこの町では凄い有名な岡部拳先生で、転がり続けた出会いが遂に議員先生のお宅に泊めて頂けることになるまで転がってきました。
そして、この岡部先生が親切&豪快な先生で、途中コインランドリーで洗濯をしていたために、到着が夜の十時を過ぎてしまったにも関わらず、快く家に上げて下さり、何も食べていなかった僕に「何か食べるか?」と、晩御飯をご馳走してくれたのですが、流石議員先生のお宅で「大した物は用意出来ないけど」と、いってでてきた料理が、何と!
う・う・う・う・う・鰻!でした。
あまりの突然のご馳走に“びっくり”し、この旅始めて(というか、ここ何年も食べてない)の鰻を大変美味しく頂きました。
そして、僕は心の中で「今度、岡部先生のお宅に来る時は、何かしらの立派な結果を出して、岡部先生が言うところの“大した料理”の方を頂くぞ!」と、強く思いました。
その後、僕は今まで議員先生なんて、偉い方にお会いした経験がないので、緊張し上手くお話しする事ができませんでしたが、岡部先生から人生で大切な事として「連絡・報告・検討だ!」と言うことを教えて頂き、僕の旅の数々の偶然の出会いも「出会いは呼び合って生まれるもの、だから一期一会を大切に!」と、大変勉強になるお話しを聞かせて頂きました。
そして、今夜もまたフカフカの布団でユックリ寝れる、と?ても素敵で有り難く、幸せな夜を過ごせることになりました。

2005/07/14(木) 23:59:59| 田代32画像旅日記|
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昨日の夕方大変お世話になった、APROの皆さんに見送られ“ロザリアンカフェ”を出発し20KMくらい先の町二日市を目指し“一緒に”歩きだしました。
“一緒に?”
そう!ここから二日市までの間は“一緒に”なんです!
誰と?
何と!偶然二日市に実家のあったAPROの塾生野口さんの自家に泊めて頂けることになり、更に“ついでに一緒に歩け!”と野口さんにとって鬼のような塾長の一声で野口さんも二日市までの20KM弱の道のりを可哀想に僕と一緒に歩く事になってしまったのでした。
この旅で初めて人と一緒に歩くことになった僕はとっても嬉しくて、沢山お話しをして最後に“二年後会った時にお互い堂々と会えるように、恥ずかしくない生き方をしましょう!”などとかなり熱い約束をしてしまいました。
そして、博多を出発してから5時間後の夜中の12時に野口さんの実家に到着しました。
すると、何と嬉しいことに野口さんのお父さんが単身赴任20年の間に腕を磨いた手料理のご馳走を造って待って下さっていて、更に、東京から来た僕のために“長崎チャンポン”と“イカそうめん”という郷土色の強い料理をワザワザ用意して下さった、心配りに凄い感激しました。
そして、野口さんのご家族と色々お話しをし、“お父さんが昔落語家を目指していた”という野口さんも知らない事実が発覚し、一気にお笑い談義で盛り上がり、とっても楽しい夜になりました。
そして、今朝朝御飯をご馳走になり、お母さんと野口さんのお姉さんに見送って頂き、次の目的地である久留米に向かい歩き始めました。途中、僕が野口さんの家に三脚を忘れていたのに全く気付かず歩いていると、それをお母さんとお姉さんが車で届けて下さって、本当に助かりました。そして、夕方久留米に到着しましたが、実はまだ福岡の“しょうへい君と服部君”が転がし始めた、僕の出会いの転がりは転がり続けていて、今日は福岡のAPPOの塾長に紹介して頂いた、佐藤社長のお家にお世話になることになっていました。
そして、夜、考えたらこの旅初めての待ち合わせをし、日本ハムファイターズの小笠原選手にそっくりの佐藤社長に、行き着けのスナックに連れて行ってもらいました。すると、このスナックが奇跡のスナックで、何と!他のお客さんの中に「昼間僕が歩いているのを見た!」というお客さんが二人もいらして、急遽ママの御好意でネタをやらせて頂けることになり¥3000もの旅資金の協力をして頂きました。
そして、佐藤社長の御自宅にお邪魔し今夜もフカフカの布団で寝ることが出来る、とっても幸せな夜になりました。
果たしてこの出会いの転がりは何処まで転がって行くのか?
実はまだまだ転がり続けるのでした!
忘れてましたが、途中13個目の新しい県佐賀県に一瞬だけでしたが突入しました。
そして、本当に一瞬だったため、この旅初めての“誰とも触れ合わない県”が誕生しました。



“一緒に?”
そう!ここから二日市までの間は“一緒に”なんです!
誰と?
何と!偶然二日市に実家のあったAPROの塾生野口さんの自家に泊めて頂けることになり、更に“ついでに一緒に歩け!”と野口さんにとって鬼のような塾長の一声で野口さんも二日市までの20KM弱の道のりを可哀想に僕と一緒に歩く事になってしまったのでした。
この旅で初めて人と一緒に歩くことになった僕はとっても嬉しくて、沢山お話しをして最後に“二年後会った時にお互い堂々と会えるように、恥ずかしくない生き方をしましょう!”などとかなり熱い約束をしてしまいました。
そして、博多を出発してから5時間後の夜中の12時に野口さんの実家に到着しました。
すると、何と嬉しいことに野口さんのお父さんが単身赴任20年の間に腕を磨いた手料理のご馳走を造って待って下さっていて、更に、東京から来た僕のために“長崎チャンポン”と“イカそうめん”という郷土色の強い料理をワザワザ用意して下さった、心配りに凄い感激しました。
そして、野口さんのご家族と色々お話しをし、“お父さんが昔落語家を目指していた”という野口さんも知らない事実が発覚し、一気にお笑い談義で盛り上がり、とっても楽しい夜になりました。
そして、今朝朝御飯をご馳走になり、お母さんと野口さんのお姉さんに見送って頂き、次の目的地である久留米に向かい歩き始めました。途中、僕が野口さんの家に三脚を忘れていたのに全く気付かず歩いていると、それをお母さんとお姉さんが車で届けて下さって、本当に助かりました。そして、夕方久留米に到着しましたが、実はまだ福岡の“しょうへい君と服部君”が転がし始めた、僕の出会いの転がりは転がり続けていて、今日は福岡のAPPOの塾長に紹介して頂いた、佐藤社長のお家にお世話になることになっていました。
そして、夜、考えたらこの旅初めての待ち合わせをし、日本ハムファイターズの小笠原選手にそっくりの佐藤社長に、行き着けのスナックに連れて行ってもらいました。すると、このスナックが奇跡のスナックで、何と!他のお客さんの中に「昼間僕が歩いているのを見た!」というお客さんが二人もいらして、急遽ママの御好意でネタをやらせて頂けることになり¥3000もの旅資金の協力をして頂きました。
そして、佐藤社長の御自宅にお邪魔し今夜もフカフカの布団で寝ることが出来る、とっても幸せな夜になりました。
果たしてこの出会いの転がりは何処まで転がって行くのか?
実はまだまだ転がり続けるのでした!
忘れてましたが、途中13個目の新しい県佐賀県に一瞬だけでしたが突入しました。
そして、本当に一瞬だったため、この旅初めての“誰とも触れ合わない県”が誕生しました。



2005/07/13(水) 23:59:59| 田代32画像旅日記|
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スゲェ?!スゲェ?!出会いが転がって止まらなくなってる?!
どうやら、昨日知り合った、しょうへい君と服部君の二人との出会いは“僕の今の状況”だけでなく“僕の旅”自体を一転してくれるとんでもない偶然の出会いだったようです。
と言うのも、昨日の夜二人と話しをしていると、彼等の通う“ベンチャースクールAPRO”の塾長さんが、とにかく凄い方らしく、長崎では超有名なヤンチャ少年で、勿論お国の施設にも長期宿泊された経験のある方で、その後、“社長になりたい”と思われ“どうやったら社長になれるかは、社長に聞くしかない!”とアポ無しで会社訪問をしまくり、独学で本当に社長になってしまったそうです。
この話しを聞いて僕は“会って話しを聞いてみてぇ?!”と思ったのですが、勿論お忙しい塾長さんなので、そう簡単に会える訳も無く、二人と一緒にAPROの事務所に向かいました。
すると、あ?ら不思議!事務所に何と塾長さんがいるではないですか!聞いてみると、びっくり塾長さんは普段だったらこんな時間に事務所にはいらっしゃらないらしく、偶然いらしたそうで、またまた“ジャバ”の素晴らしい仕事ぶりに大感謝しました。
そして、この塾長さん(三枚目の写真の右)は見た目も充分迫力のある方なのですが、それ以上に言葉一つ一つに“力”と言うか“魂”が込められた感じの迫力ある話し方をされ、気を抜いたら飲み込まれて何も話せなくなる気がして、僕もその迫力に負けないように旅の話しを一生懸命しました。そして、“人生は自分が思うようにしかならない”ことや“自分の将来のビジョンをイメージし、それを人に真剣に語ることで道が開ける”ことや“感謝は言葉でなく結果でする”ことなどを教えて頂き、更に僕が今まで旅で感じ考えた事でも、自分自身で確信がもてなかった事に「その通りだよ!」と大変自信になる太鼓判を押して下さいました。そして、塾長さんが帰られた後「会長も凄い人なんだよ!」と聞き、僕は“え?塾長さんより凄い方なんて、体がもたないよ?!でも、会ってみたいなぁ?!”と思うと、またまたあ?ら不思議!もう夜中にも関わらず、何と会長さんの登場!流石にもう夜中で会長さんとは、あまりお話しをすることはできませんでしたが、明日朝礼でネタをやらせてもらうことになり、早速、今朝の朝礼で沢山の社員さんの前でネタをやらせてもらいました。
その後、朝礼に参加していた、しょうへい君と服部君が頑張っている“ロザリアンカフェ”の店長さんに「店でネタをやって下さいよ」と言って頂き、こちらの広末さんが写真のような素晴らしいポスターを作って下さり夕方から二回もネタをやらせてもらいました。
とにかく、24時間前までは、博多で“一人ぼっち”だった僕が、今では信じられない人数の方達に囲まれていて、また 知人の一人もいなかった福岡にも凄いパワフルで明るい仲間と人生の先輩ができました。
次々に転がっていくような出会いの、最初の一転がり目である、しょうへい君と服部君に昨日に続き感謝したいと思います!
最後に昨日警固公園でネタを見て頂き¥3516の旅資金を協力して下さったみなさん。そして、タバコの差し入れを下さった、ロザリアンカフェの皆さんと、それとは別にタバコの差し入れを下さった塾長とAPROの皆さん、本当に出会って頂き、ありがとうございました。



どうやら、昨日知り合った、しょうへい君と服部君の二人との出会いは“僕の今の状況”だけでなく“僕の旅”自体を一転してくれるとんでもない偶然の出会いだったようです。
と言うのも、昨日の夜二人と話しをしていると、彼等の通う“ベンチャースクールAPRO”の塾長さんが、とにかく凄い方らしく、長崎では超有名なヤンチャ少年で、勿論お国の施設にも長期宿泊された経験のある方で、その後、“社長になりたい”と思われ“どうやったら社長になれるかは、社長に聞くしかない!”とアポ無しで会社訪問をしまくり、独学で本当に社長になってしまったそうです。
この話しを聞いて僕は“会って話しを聞いてみてぇ?!”と思ったのですが、勿論お忙しい塾長さんなので、そう簡単に会える訳も無く、二人と一緒にAPROの事務所に向かいました。
すると、あ?ら不思議!事務所に何と塾長さんがいるではないですか!聞いてみると、びっくり塾長さんは普段だったらこんな時間に事務所にはいらっしゃらないらしく、偶然いらしたそうで、またまた“ジャバ”の素晴らしい仕事ぶりに大感謝しました。
そして、この塾長さん(三枚目の写真の右)は見た目も充分迫力のある方なのですが、それ以上に言葉一つ一つに“力”と言うか“魂”が込められた感じの迫力ある話し方をされ、気を抜いたら飲み込まれて何も話せなくなる気がして、僕もその迫力に負けないように旅の話しを一生懸命しました。そして、“人生は自分が思うようにしかならない”ことや“自分の将来のビジョンをイメージし、それを人に真剣に語ることで道が開ける”ことや“感謝は言葉でなく結果でする”ことなどを教えて頂き、更に僕が今まで旅で感じ考えた事でも、自分自身で確信がもてなかった事に「その通りだよ!」と大変自信になる太鼓判を押して下さいました。そして、塾長さんが帰られた後「会長も凄い人なんだよ!」と聞き、僕は“え?塾長さんより凄い方なんて、体がもたないよ?!でも、会ってみたいなぁ?!”と思うと、またまたあ?ら不思議!もう夜中にも関わらず、何と会長さんの登場!流石にもう夜中で会長さんとは、あまりお話しをすることはできませんでしたが、明日朝礼でネタをやらせてもらうことになり、早速、今朝の朝礼で沢山の社員さんの前でネタをやらせてもらいました。
その後、朝礼に参加していた、しょうへい君と服部君が頑張っている“ロザリアンカフェ”の店長さんに「店でネタをやって下さいよ」と言って頂き、こちらの広末さんが写真のような素晴らしいポスターを作って下さり夕方から二回もネタをやらせてもらいました。
とにかく、24時間前までは、博多で“一人ぼっち”だった僕が、今では信じられない人数の方達に囲まれていて、また 知人の一人もいなかった福岡にも凄いパワフルで明るい仲間と人生の先輩ができました。
次々に転がっていくような出会いの、最初の一転がり目である、しょうへい君と服部君に昨日に続き感謝したいと思います!
最後に昨日警固公園でネタを見て頂き¥3516の旅資金を協力して下さったみなさん。そして、タバコの差し入れを下さった、ロザリアンカフェの皆さんと、それとは別にタバコの差し入れを下さった塾長とAPROの皆さん、本当に出会って頂き、ありがとうございました。



2005/07/12(火) 19:00:00| 田代32画像旅日記|
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